10月は「福音宣教のための特別月間」

10月は「福音宣教のための特別月間」

末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

  8月31日(土)11:00から中国共同体設立10周年記念ミサがイエズス会中国センター長の井上潔神父(イエズス会)の主司式と6名の司祭の共同司式、180名を超える参列者によって捧げられました。このミサで初めて中国語での福音朗読と説教の一部を中国語でしましたが、久しぶりにミサを捧げているときに、緊張で心臓がドキドキしました。ミサ後には神様の恵みに感謝する盛大なパーティーが開催されました。

 中国共同体は2009年に設立されましたが、東京から来たある一人の中国人女性の「横浜にこんなに沢山の中国人信徒がいるならば、横浜でも中国語のミサが行われるべきではないか」という質問がきっかけとなったそうです。しかし、当時、横浜にいる中国人信徒たちの中では、ミサ典礼書もオルガン奏者も聖歌集も無いのに、どのようにミサを始めればよいのか、と途方に暮れ、そこで、イエズス会の中国センターの井上神父様に相談したそうです。その後、ENCOM横浜の支援を受け、梅村司教様から許可を得て中国語ミサが第1、第2日曜日の午前8時から捧げられるようになり、現在では、横浜教区司祭月修のある月末の火曜日の19:00からは高橋慎一神父様(横浜教区、清水教会・草薙教会主任司祭)による平日中国語ミサも捧げられるようになりました。中国共同体では、幼児洗礼、初聖体式を日本語ミサで行い、小教区共同体の家族の一員として教会学校や教会行事に多大な貢献をして下さっています。これからも教会家族の一員として一緒に信仰の旅路を歩んでいくことが出来ることを嬉しく思います。

  また、9月6日(金)から8日(日)までは、フィリピン共同体と長崎巡礼に出かけました。6日(金)午前中に大村空港に到着し、放虎原(ほうこばる)殉教地で祈りを捧げました。ここは明暦3年(1657)603人の潜伏キリシタンが発覚した大事件「郡崩れ」のうち、131人が万治元年(1658)に殉教した場所です。その後、近隣の植松教会に御聖体訪問したところ、金曜日は聖体顕示を行って1日中、祈りが捧げられていました。それから雲仙に出かけ、雲仙教会訪問後、雲仙地獄殉教地に出かけ祈りを捧げました。ここでは1627年から1631年に切支丹への棄教を迫る拷問が高濃度の硫黄泉が噴き出る中で行われ、2008年に列福された188殉教者の内、33名が殉教した場所です。それから長崎市内の中町教会へ移動しました。中町教会は明治29年(1896年)に26聖人殉教300周年を記念して献堂されましたが、原爆で倒壊し、1951年に再建されました。そして、昭和62年(1987年)に聖トマス西と15同志殉教者が26聖人以来、日本の聖人として125年ぶりに列聖されたことを記念して敷地内に16聖人の碑が建てられ、これを祝別するためにマニラ大司教ハイメ・シン枢機卿猊下が来崎されたそうです。そして、中町教会は16聖人に奉献されました。この16聖人のなかにフィリピン人で初めて列聖されたサン・ロレンソ・ルイスが含まれていますから、フィリピン共同体にとってはとても特別な教会として受け止めることが出来たそうです。毎年、長崎大司教が中町教会では16聖人の祝日のミサをお捧げになるそうです。

  7日(土)は五島列島に渡ることを計画していましたが、九州を直撃した台風の影響でジェットフォイルが欠航してしまい、急遽予定を変更して、まずはカテドラルである浦上教会へ向かいました。被爆マリア像の小聖堂で平和を祈ってから外海へと向かいました。外海地区は明治12年(1879年)にプチジャン司教様によって任命を受けたド・ロ神父様が生涯をかけて宣教に尽力した地区ですが、まずは黒崎教会に向かい、それから出津教会へ向かいました。ちなみに、ド・ロ神父様は外海への任命を受ける前は、横浜でサン・モール会のシスター方と一緒に行動していたそうです。今回、出津を訪問して初めて知ることが出来ました。

その後、「岬の聖母」が航行する船の安全を見守る神の島教会を訪問し、祈りを捧げ、また、「岬の聖母」像のある丘に登り、祈りを捧げました。それから、国宝大浦天主堂に向かい、祈りを捧げた後で旧大司教館および旧神学院でキリシタン弾圧や再宣教時代の歩みについて展示を通して色々なことを学びました。そして、現在、小教区教会聖堂として用いられている大浦教会に行き、祈りを捧げました。その後、出島地区を見て二日目が終了しました。

  8日(日)は台風が関東を直撃することが予想されていたので、夜の飛行機を14:55の便に変更しました。まずは長崎大司教館に法務代理の古巣馨神父様を訪問して長崎の信仰の歴史を学びました。その際、大村殉教祭にお出かけになる高見大司教様と中村補佐司教様にもお会いすることが出来ました。その後、浦上キリシタン資料館でキリシタン資料および永井隆博士についての展示を見学し、長崎原爆資料館を見学しました。それから、爆心地へ行き、平和を願って祈りを捧げ、26聖人が殉教した西坂の丘にある西坂教会(日本26聖人記念聖堂)での12:30からの英語ミサで共同司式をしてから大村空港に向かい、空路、横浜に戻りました。

  今回の巡礼で感じたことは、戦国時代からの宣教時代にキリストの福音を受け取った人々の熱意にあふれる堅固な信仰の美しさと、忍耐強さ、また、日本再宣教の時代には、宣教師達は本当に熱意をもってキリストの福音を人々に告げ知らせたということです。今年の「世界宣教の日」は10月20日(日)ですが、フランシスコ教皇聖下は「洗礼を受け、派遣される―世界で宣教するキリストの教会」という題で教皇メッセージを発表されました。このメッセージの中でも、キリストの福音を生き、告げ知らせることの大切さが強調されています。以下は重要な点の抜粋です。

2019年「世界宣教の日」教皇メッセージ】

「洗礼を受け、派遣される――世界で宣教するキリストの教会」

親愛なる兄弟姉妹の皆さん

教皇ベネディクト十五世の使徒的書簡『マキシムム・イルド』(1919年11月30日)公布100周年を記念して、わたしは2019年10月を、宣教活動のための特別な期間とするよう全教会に呼びかけました。ベネディクト十五世の預言者的で先見の明のあるこの書簡は、教会の宣教活動を刷新することと、死んで復活したイエス・キリストの救いを全世界に知らせ、伝えるという使命を福音宣教の視点から見直すことが、今日にあってもいかに重要であるかを認識させてくれます。

このメッセージのタイトル、「洗礼を受け、派遣される――世界で宣教するキリストの教会」は、10月に行われる福音宣教のための特別月間のテーマと同じです。この特別月間を記念することは、第一に、イエス・キリストへの信仰という、洗礼のたまものとして無償で受けた信仰を貫くことの宣教的な意味をあらためて見いだす助けとなります。わたしたちが神の子となるということは、個人としてではなく、つねに教会としての行いです。父と子と聖霊の三位一体の神との交わりから、他の多くの兄弟姉妹とともに新しいいのちが生まれるのです。この聖なるいのちは売り物ではなく――わたしたちは信仰を強制しません――、与え、伝え、知らせるべき宝です。それこそが宣教の意味するところです。わたしたちは無償でこのたまものを受け、だれ一人のけ者にせずに、無償で分かち合います(マタイ10・8参照)。神は、救いの普遍的秘跡である教会を通して、すべての人が真理を知り、ご自身のいつくしみを受けることによって救われるよう望んでおられます(一テモテ2・4、3・15、第二バチカン公会議公文書『教会憲章』48参照)。

(中略)

イエス・キリストのうちに神から与えられる救いの目的の普遍性に基づいて、ベネディクト十五世は、国家主義や自民族中心主義から生じるあらゆる閉鎖性を乗り越え、植民地支配、また経済や軍事における利益と、福音の告知とのあらゆる混同を克服するよう呼びかけました。そして、その使徒的書簡『マキシムム・イルド』において、教会の宣教の神聖な普遍性は、自国や自民族の中だけのものだという考えを捨てるよう求めていると記しました。イエス・キリストによる新たな救いへと文化と共同体を開け放つには、民族や教会が陥っている内向性をすべて克服する必要があります。今日でも教会は、家、家族、故郷、母国語圏、地方教会から出るようにとの呼びかけに、洗礼の恵みによって、進んでこたえる人を求め続けています。そうした人々は、まだイエス・キリストの秘跡とキリストの聖なる教会によって変えられていない世界の人々のもとに派遣されます。神のことばを告げ、福音をあかしし、聖霊のいのちをたたえながら、彼らは回心を呼びかけ、洗礼を授けます。そして一人ひとりの自由を尊重し、派遣された先の人々の文化と宗教と対話しながら、キリスト者の救いを伝えます。つねに教会が必要としている「諸国民への宣教(missio ad gentes)」は、すべてのキリスト者の回心という永続的なプロセスに根底から寄与しています。イエスの過越を信じること、洗礼を授ける教会として派遣されること、地理的、文化的に自我や家族から離れること、罪のゆるしと、個人的、社会的な悪からの解放を求めること。これらすべては、地の果てまで出向く宣教を要求します。

(中略)

わたしたちの母であるマリアに教会の宣教をゆだねます。おとめマリアは、受肉のときから御子と結ばれ、イエスの宣教に全面的に参加し、活動しました。宣教は、十字架のもとで、マリア自身の使命となりました。教会の母として、聖霊と信仰のうちに新しい神の子らが生まれるのを助けておられるのです。

最後に、『マキシムム・イルド』の中ですでに宣教機関として提案されている、教皇庁宣教事業について少し述べたいと思います。教皇庁宣教事業は、宣教の魂である祈りと、全世界に散在するキリスト者の愛のわざをもって、教皇の宣教活動を助ける世界的なネットワークという形で、教会の普遍性のために尽くしています。その献金は、部分教会の福音宣教活動(信仰弘布会)、地方教会の聖職者の養成(使徒聖ペトロ会)、世界中の子どもたちの間での宣教意識の向上(児童福祉会)、キリスト者の信仰の宣教的側面の促進(宣教師連合)において教皇を支えています。わたしは、これらの会をあらためて後押しするにあたって、2019年10月の「福音宣教のための特別月間」が、教皇職のために尽くす彼らの宣教活動の刷新に役立つよう望みます。

この教皇様の指摘は、2019年10月が「福音宣教のための特別月間」であり、私たち一人ひとりが子どもたちに対しても福音を生きることの気高さと美しさを伝え、また、若者に対して聖職者になるように呼びかけ、すべての信徒が福音を真剣に生きるように呼びかけています。

特に注目すべきは、ベネディクト15世教皇聖下の使徒的書簡『マキシムム・イルド』公布100周年にあたって「福音宣教のための特別月間」を定めた点です。ベネディクト15世教皇聖下は1914年9月3日に教皇に即位し、1922年1月22日に帰天されました。つまり、1914年に始まった第1次世界大戦中の教皇であり、第1次世界大戦の終結と平和実現に向けて精力的に仲介した方です。1919年は第1次世界大戦が終結した翌年であり、ヨーロッパに大きな戦禍の傷跡が刻まれていた時代でした。この書簡の中でベネディクト15世教皇聖下は、各国単位の救いや、排他的な救いの理解を排して、神の救済意志は全人類を対象としていることを明確にお示しになりました。その中で、「聖なる生活と善行を通して、主イエズスをより広く告知し、イエズスの愛を広めることこそが宣教活動の目的」であることが強調されています。

末吉町教会でも、日本人共同体、フィリピン共同体、韓国共同体、中国共同体、ベトナム人共同体が全く壁を感じさせることなく、一つの教会の家族として共に信仰生活を歩んでいます。これは本当に素晴らしいことです。これからも、この信仰の歩みを更に深めて行ければと思います。

マザーテレサの言葉から(『マザーテレサ日々の言葉』125日 女子パウロ会)

 わたしたちは神を見いだす必要があります。神を、騒がしさや、落ち着きのないところで見出すことは出来ません。神は、静けさの友です。沈黙の祈りを実践すればするほど、活動においてもっと多くを与えることが出来るのです。大切なことは、わたしたちが言っているのではなく、神がわたしたちにおっしゃること、そして、神がわたしたちを通して、おっしゃっていることなのです。

私たちの10月の日々が、沈黙の祈りを伴う生活となり、神さまとの深い出会いを通して恵みを受け、出会う一人ひとりへの惜しみない思いやりと優しさを与えることが出来ますように。また、ロザリオの聖母の取り次ぎを願いながら、ロザリオの祈りを捧げながら聖母マリアと共に歩みを重ねていくことが出来ますように。

10月は「福音宣教のための特別月間」

末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

  8月31日(土)11:00から中国共同体設立10周年記念ミサがイエズス会中国センター長の井上潔神父(イエズス会)の主司式と6名の司祭の共同司式、180名を超える参列者によって捧げられました。このミサで初めて中国語での福音朗読と説教の一部を中国語でしましたが、久しぶりにミサを捧げているときに、緊張で心臓がドキドキしました。ミサ後には神様の恵みに感謝する盛大なパーティーが開催されました。

 中国共同体は2009年に設立されましたが、東京から来たある一人の中国人女性の「横浜にこんなに沢山の中国人信徒がいるならば、横浜でも中国語のミサが行われるべきではないか」という質問がきっかけとなったそうです。しかし、当時、横浜にいる中国人信徒たちの中では、ミサ典礼書もオルガン奏者も聖歌集も無いのに、どのようにミサを始めればよいのか、と途方に暮れ、そこで、イエズス会の中国センターの井上神父様に相談したそうです。その後、ENCOM横浜の支援を受け、梅村司教様から許可を得て中国語ミサが第1、第2日曜日の午前8時から捧げられるようになり、現在では、横浜教区司祭月修のある月末の火曜日の19:00からは高橋慎一神父様(横浜教区、清水教会・草薙教会主任司祭)による平日中国語ミサも捧げられるようになりました。中国共同体では、幼児洗礼、初聖体式を日本語ミサで行い、小教区共同体の家族の一員として教会学校や教会行事に多大な貢献をして下さっています。これからも教会家族の一員として一緒に信仰の旅路を歩んでいくことが出来ることを嬉しく思います。

  また、9月6日(金)から8日(日)までは、フィリピン共同体と長崎巡礼に出かけました。6日(金)午前中に大村空港に到着し、放虎原(ほうこばる)殉教地で祈りを捧げました。ここは明暦3年(1657)603人の潜伏キリシタンが発覚した大事件「郡崩れ」のうち、131人が万治元年(1658)に殉教した場所です。その後、近隣の植松教会に御聖体訪問したところ、金曜日は聖体顕示を行って1日中、祈りが捧げられていました。それから雲仙に出かけ、雲仙教会訪問後、雲仙地獄殉教地に出かけ祈りを捧げました。ここでは1627年から1631年に切支丹への棄教を迫る拷問が高濃度の硫黄泉が噴き出る中で行われ、2008年に列福された188殉教者の内、33名が殉教した場所です。それから長崎市内の中町教会へ移動しました。中町教会は明治29年(1896年)に26聖人殉教300周年を記念して献堂されましたが、原爆で倒壊し、1951年に再建されました。そして、昭和62年(1987年)に聖トマス西と15同志殉教者が26聖人以来、日本の聖人として125年ぶりに列聖されたことを記念して敷地内に16聖人の碑が建てられ、これを祝別するためにマニラ大司教ハイメ・シン枢機卿猊下が来崎されたそうです。そして、中町教会は16聖人に奉献されました。この16聖人のなかにフィリピン人で初めて列聖されたサン・ロレンソ・ルイスが含まれていますから、フィリピン共同体にとってはとても特別な教会として受け止めることが出来たそうです。毎年、長崎大司教が中町教会では16聖人の祝日のミサをお捧げになるそうです。

  7日(土)は五島列島に渡ることを計画していましたが、九州を直撃した台風の影響でジェットフォイルが欠航してしまい、急遽予定を変更して、まずはカテドラルである浦上教会へ向かいました。被爆マリア像の小聖堂で平和を祈ってから外海へと向かいました。外海地区は明治12年(1879年)にプチジャン司教様によって任命を受けたド・ロ神父様が生涯をかけて宣教に尽力した地区ですが、まずは黒崎教会に向かい、それから出津教会へ向かいました。ちなみに、ド・ロ神父様は外海への任命を受ける前は、横浜でサン・モール会のシスター方と一緒に行動していたそうです。今回、出津を訪問して初めて知ることが出来ました。

その後、「岬の聖母」が航行する船の安全を見守る神の島教会を訪問し、祈りを捧げ、また、「岬の聖母」像のある丘に登り、祈りを捧げました。それから、国宝大浦天主堂に向かい、祈りを捧げた後で旧大司教館および旧神学院でキリシタン弾圧や再宣教時代の歩みについて展示を通して色々なことを学びました。そして、現在、小教区教会聖堂として用いられている大浦教会に行き、祈りを捧げました。その後、出島地区を見て二日目が終了しました。

  8日(日)は台風が関東を直撃することが予想されていたので、夜の飛行機を14:55の便に変更しました。まずは長崎大司教館に法務代理の古巣馨神父様を訪問して長崎の信仰の歴史を学びました。その際、大村殉教祭にお出かけになる高見大司教様と中村補佐司教様にもお会いすることが出来ました。その後、浦上キリシタン資料館でキリシタン資料および永井隆博士についての展示を見学し、長崎原爆資料館を見学しました。それから、爆心地へ行き、平和を願って祈りを捧げ、26聖人が殉教した西坂の丘にある西坂教会(日本26聖人記念聖堂)での12:30からの英語ミサで共同司式をしてから大村空港に向かい、空路、横浜に戻りました。

  今回の巡礼で感じたことは、戦国時代からの宣教時代にキリストの福音を受け取った人々の熱意にあふれる堅固な信仰の美しさと、忍耐強さ、また、日本再宣教の時代には、宣教師達は本当に熱意をもってキリストの福音を人々に告げ知らせたということです。今年の「世界宣教の日」は10月20日(日)ですが、フランシスコ教皇聖下は「洗礼を受け、派遣される―世界で宣教するキリストの教会」という題で教皇メッセージを発表されました。このメッセージの中でも、キリストの福音を生き、告げ知らせることの大切さが強調されています。以下は重要な点の抜粋です。

2019年「世界宣教の日」教皇メッセージ】

「洗礼を受け、派遣される――世界で宣教するキリストの教会」

親愛なる兄弟姉妹の皆さん

教皇ベネディクト十五世の使徒的書簡『マキシムム・イルド』(1919年11月30日)公布100周年を記念して、わたしは2019年10月を、宣教活動のための特別な期間とするよう全教会に呼びかけました。ベネディクト十五世の預言者的で先見の明のあるこの書簡は、教会の宣教活動を刷新することと、死んで復活したイエス・キリストの救いを全世界に知らせ、伝えるという使命を福音宣教の視点から見直すことが、今日にあってもいかに重要であるかを認識させてくれます。

このメッセージのタイトル、「洗礼を受け、派遣される――世界で宣教するキリストの教会」は、10月に行われる福音宣教のための特別月間のテーマと同じです。この特別月間を記念することは、第一に、イエス・キリストへの信仰という、洗礼のたまものとして無償で受けた信仰を貫くことの宣教的な意味をあらためて見いだす助けとなります。わたしたちが神の子となるということは、個人としてではなく、つねに教会としての行いです。父と子と聖霊の三位一体の神との交わりから、他の多くの兄弟姉妹とともに新しいいのちが生まれるのです。この聖なるいのちは売り物ではなく――わたしたちは信仰を強制しません――、与え、伝え、知らせるべき宝です。それこそが宣教の意味するところです。わたしたちは無償でこのたまものを受け、だれ一人のけ者にせずに、無償で分かち合います(マタイ10・8参照)。神は、救いの普遍的秘跡である教会を通して、すべての人が真理を知り、ご自身のいつくしみを受けることによって救われるよう望んでおられます(一テモテ2・4、3・15、第二バチカン公会議公文書『教会憲章』48参照)。

(中略)

イエス・キリストのうちに神から与えられる救いの目的の普遍性に基づいて、ベネディクト十五世は、国家主義や自民族中心主義から生じるあらゆる閉鎖性を乗り越え、植民地支配、また経済や軍事における利益と、福音の告知とのあらゆる混同を克服するよう呼びかけました。そして、その使徒的書簡『マキシムム・イルド』において、教会の宣教の神聖な普遍性は、自国や自民族の中だけのものだという考えを捨てるよう求めていると記しました。イエス・キリストによる新たな救いへと文化と共同体を開け放つには、民族や教会が陥っている内向性をすべて克服する必要があります。今日でも教会は、家、家族、故郷、母国語圏、地方教会から出るようにとの呼びかけに、洗礼の恵みによって、進んでこたえる人を求め続けています。そうした人々は、まだイエス・キリストの秘跡とキリストの聖なる教会によって変えられていない世界の人々のもとに派遣されます。神のことばを告げ、福音をあかしし、聖霊のいのちをたたえながら、彼らは回心を呼びかけ、洗礼を授けます。そして一人ひとりの自由を尊重し、派遣された先の人々の文化と宗教と対話しながら、キリスト者の救いを伝えます。つねに教会が必要としている「諸国民への宣教(missio ad gentes)」は、すべてのキリスト者の回心という永続的なプロセスに根底から寄与しています。イエスの過越を信じること、洗礼を授ける教会として派遣されること、地理的、文化的に自我や家族から離れること、罪のゆるしと、個人的、社会的な悪からの解放を求めること。これらすべては、地の果てまで出向く宣教を要求します。

(中略)

わたしたちの母であるマリアに教会の宣教をゆだねます。おとめマリアは、受肉のときから御子と結ばれ、イエスの宣教に全面的に参加し、活動しました。宣教は、十字架のもとで、マリア自身の使命となりました。教会の母として、聖霊と信仰のうちに新しい神の子らが生まれるのを助けておられるのです。

最後に、『マキシムム・イルド』の中ですでに宣教機関として提案されている、教皇庁宣教事業について少し述べたいと思います。教皇庁宣教事業は、宣教の魂である祈りと、全世界に散在するキリスト者の愛のわざをもって、教皇の宣教活動を助ける世界的なネットワークという形で、教会の普遍性のために尽くしています。その献金は、部分教会の福音宣教活動(信仰弘布会)、地方教会の聖職者の養成(使徒聖ペトロ会)、世界中の子どもたちの間での宣教意識の向上(児童福祉会)、キリスト者の信仰の宣教的側面の促進(宣教師連合)において教皇を支えています。わたしは、これらの会をあらためて後押しするにあたって、2019年10月の「福音宣教のための特別月間」が、教皇職のために尽くす彼らの宣教活動の刷新に役立つよう望みます。

この教皇様の指摘は、2019年10月が「福音宣教のための特別月間」であり、私たち一人ひとりが子どもたちに対しても福音を生きることの気高さと美しさを伝え、また、若者に対して聖職者になるように呼びかけ、すべての信徒が福音を真剣に生きるように呼びかけています。

特に注目すべきは、ベネディクト15世教皇聖下の使徒的書簡『マキシムム・イルド』公布100周年にあたって「福音宣教のための特別月間」を定めた点です。ベネディクト15世教皇聖下は1914年9月3日に教皇に即位し、1922年1月22日に帰天されました。つまり、1914年に始まった第1次世界大戦中の教皇であり、第1次世界大戦の終結と平和実現に向けて精力的に仲介した方です。1919年は第1次世界大戦が終結した翌年であり、ヨーロッパに大きな戦禍の傷跡が刻まれていた時代でした。この書簡の中でベネディクト15世教皇聖下は、各国単位の救いや、排他的な救いの理解を排して、神の救済意志は全人類を対象としていることを明確にお示しになりました。その中で、「聖なる生活と善行を通して、主イエズスをより広く告知し、イエズスの愛を広めることこそが宣教活動の目的」であることが強調されています。

末吉町教会でも、日本人共同体、フィリピン共同体、韓国共同体、中国共同体、ベトナム人共同体が全く壁を感じさせることなく、一つの教会の家族として共に信仰生活を歩んでいます。これは本当に素晴らしいことです。これからも、この信仰の歩みを更に深めて行ければと思います。

マザーテレサの言葉から(『マザーテレサ日々の言葉』125日 女子パウロ会)

 わたしたちは神を見いだす必要があります。神を、騒がしさや、落ち着きのないところで見出すことは出来ません。神は、静けさの友です。沈黙の祈りを実践すればするほど、活動においてもっと多くを与えることが出来るのです。大切なことは、わたしたちが言っているのではなく、神がわたしたちにおっしゃること、そして、神がわたしたちを通して、おっしゃっていることなのです。

私たちの10月の日々が、沈黙の祈りを伴う生活となり、神さまとの深い出会いを通して恵みを受け、出会う一人ひとりへの惜しみない思いやりと優しさを与えることが出来ますように。また、ロザリオの聖母の取り次ぎを願いながら、ロザリオの祈りを捧げながら聖母マリアと共に歩みを重ねていくことが出来ますように。

イエズス・キリストの家族になる

末吉町教会「街の灯」2019年8月号巻頭言

イエズス・キリストの家族になる

末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

 7月13日(土)に港南教会のベトナム共同体の1歳半から91歳までの23名と、日本人4名と、末吉町教会の英語ミサの聖歌隊で歌ってくださり、フィリピン共同体の秋田巡礼やVisita Iglesia(ヴィジタ・イグレシア)でもバスを運転をして下さっている山手教会の信者さんと私との29名で、マイクロバスの定員一杯に乗って、朝6:30に港南教会近くの環状線沿いから出発して那須への一日巡礼に出かけました。

 那須には「トラピスト・ガレット」で有名な那須トラピスト修道院があり、そこでは42名のシスターたちが生活をしていますが、そのうち12名がベトナムから来日したシスターたちなので巡礼の目的地として皆で話し合って決めました。ちなみに、正式名称は「厳律シトー会那須の聖母修道院」と言います。この修道院には、港南教会のベトナム共同体の信者さんの姉妹がシスターとして修道生活を送っておられるので、横浜の教会との霊的な深い絆があることが今回分かりました。

 さて、修道生活には2種類の生活形態があります。一つは、「活動修道会」とか「使徒的活動の会」と呼ばれる奉献生活で、学校や施設、小教区で使徒職を果たしていく修道会です。例えば、末吉町教会では、聖なる十字架を愛する会のベトナム人シスターがベトナム共同体の司牧に協力して下さっています。また、カトリック学校で教壇に立つシスターたちもこの「活動修道会」に属しています。

もう一つの修道生活は「観想修道会」とか「隠世共住修道生活の会」と呼ばれる奉献生活で、今回、私たちが訪問した那須トラピスト修道院もこの一つです。特徴は、修道誓願を宣立してからは、一生の間、「教皇禁域(Clausura・クラウズーラ)」から出ることなく、祈りと生活を支える労働に従事する生活を送ることです。ちなみに、那須トラピスト修道院では、毎朝、3:45に起床し、4:05の読書課の聖務日課から始まって7回の時課の典礼、ミサ、そして、その間の午前と午後の仕事が行われています。敷地も広大なので、お米作り、畑での野菜作り、ガレット工場での仕事や黙想の家の宿泊者の世話等、シスター方が手分けして仕事をしておられます。

 私たちは、バスの中でベトナム語で神のいつくしみのチャプレットをはじめとする祈りを皆で捧げながら那須を目指し、10:40頃に修道院に到着して11:00からベトナム語でミサを捧げ、11:50からの6時課の典礼に与り、その後、教皇禁域の手前の広場でお昼ご飯を食べました。その後、1:00からベトナム人シスターたちが大修道院長様の特別許可で教皇禁域から出て来てくださり、皆で楽しく話をしたり、交流を持つことが出来ました。その後、1:40頃に修道院を出発して那須野が原公園に移動して5時過ぎまでのんびりと過ごし、横浜には9時過ぎに帰り着きました。

 11教区の司祭養成に当たる東京カトリック神学院では、かつて、那須のマ・メゾン光星(知的障害者福祉法及び障害者自立支援法に基づく障害者支援施設)の敷地の中に初年度養成施設「ガリラヤの家」を設置して100名を超える入所者の方々との交流を持ってきました。また、那須トラピスト修道院まで歩いて30分かからない距離なので、トラピスト修道院での毎月の静修(1泊2日の黙想会)や、修道院付き司祭のダビデ神父様の毎週の英語講座や、主日ミサでの典礼奉仕で足しげく通っていたので、私にとっても2001年3月末から2002年3月までの1年間を暮らした場所でもあり、また、2007年の新司祭団の初ミサ以来の訪問となり、シスター方との懐かしい再会となりました。

 さて、修道生活をしているシスター方やブラザーたちはどのような生活を送るのかについて、教会法573条1項で次のような神学的定義が示されています。

C.I.C.573§1福音的勧告に従うことを表明することによって奉献された生活は,永続的生活の形態であり,これにより信者は聖霊の働きのもとに,キリストにいっそう近く従い,すべてに超えて愛する神にあますところなく自身を捧げる。それは神の光栄と教会の建設並びに世の救いのために新たな特別な資格で自らを奉献する者が,神の国の奉仕において,愛の完成を追求し,教会のなかで明白なしるしとなって,天の栄光を告げるためである。

 つまり、修道生活はキリストにいっそう近く従って、すべてに超えて神を愛する生き方を通して天の栄光を告げていることが分かります。実際、観想修道会は教会の「祈りの心臓」と呼ばれる慣例があり、祈りが絶えることなく陽の昇る前から陽の沈んだ後まで捧げられ続けています。私たち、修道生活を送っていない一人ひとりにも、観想修道会の祈りを通して、日々、絶えず神様からの恵みが注がれるのです。観想修道生活を送った跣足カルメル修道女会の幼きイエズスの聖テレジア(リジューの聖テレーズ)は次のような言葉を残しています。

「祈りとは心のほとばしりです。天に向ける素朴なまなざしです。つらいときにもうれしいときにも天に向けて上げる、感謝と愛の叫びです。」(幼いイエスの聖テレジア『自叙伝』C,25r)

 リジューの聖テレーズの祈りについての考え方は驚くほど素朴です。そして、私たち一人ひとりにとっても毎日の生活の中で実践できる内容となっています。どんな出来事に直面した時も、また、どのような人といるときも、心が動かされて天におられる私たちの父を仰ぎみる眼差しが祈りだからです。つまり、天の父である神との関わり、距離感が近くなり、心が繋がって思いが通い合う道が祈りだと聖テレーズは理解しているのです。

 イエズス・キリストはご自分の家族、母、兄弟、姉妹とは誰であるかについて、地上での公生活の中で次のように宣言されました。

【マタイ福音書12章46節~50節「イエスの母、兄弟」】

12・46 イエスがなお群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちが、話したいことがあって外に立っていた。 12・47 そこで、ある人がイエスに、「御覧なさい。母上と御兄弟たちが、お話ししたいと外に立っておられます」と言った。 12・48 しかし、イエスはその人にお答えになった。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか。」12・49 そして、弟子たちの方を指して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 12・50 だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」

イエズス・キリストは弟子たちの方を指して仰います。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 12・50 だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」これは、ラテン語ウルガタ訳聖書では

“Ecce mater mea et fratres mei. 1250 Quicumque enim feceritvoluntatem Patris mei, qui in caelis est, ipse meus frater et soror et mater est“.(エッチェ マーテル メア エット フラートレス メイ。クイクムクエ エニム フェチェリット ヴォルンターテム パートリス メイ、クイ イン チェリス エスト、イプセ メウス フラテール エット ソロール エト マーテル エスト。)

と記されています。

 つまり、イエズス・キリストにとってご自分の家族たる兄弟、姉妹、母とは、「天の父のみ心を行う人」(feceritvolutatem Patris mei, qui in caelis est)なのだと宣言されたのです。

 イエズス・キリストの家族の定義でとても興味深いのは、私たちが日々、唱えるようにイエズス・キリストから教えられている主の祈りにある生き方がそのまま含まれている点です。私たちは主の祈りの中で次のように唱えます。

「みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。」

この祈りは、ラテン語では次のように唱えています。

 “fiat voluntas Tua, sicut in caelo, et in terra.”

マタイ福音書では、イエズス・キリストは、「天におられる私の父のみ心」、すなわち天の父のVoluntas(ヴォルンタス・意思)を実践する人が家族であると宣言し、主の祈りでは、”fiat voluntas Tua(フィアット・ヴォルンタス・トゥア:直訳すると、「あなた(=天におられる父である神)」の意思が成されるように)と祈り、この天の父の意思が天においてと同じように地上においても成されるように祈るよう、弟子たちに教えました。

 イエズス・キリストの思いは、実はすべてのカトリック信者の母であり、教会の母である聖母マリアの生き方を踏まえたものであることが次の聖書箇所から分かります。聖母マリアは大天使ガブリエルから受胎告知を受けたとき、次のように答えました。

【ルカ福音書1章38節】

1・38 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

01・38 Dixit autem Maria: “Ecce ancilla Domini; fiat mihi secundum verbum tuum“. Et discessit ab illa angelus.(ディクシット アウテム マリア:エッチェ アンチッラ ドミニ;フィアット ミキ セクンドゥム ヴェルブム トゥウム。エット ディシェッシット アブ イッラ アンジェルス。)

 マリア様はイエズス・キリストの母となることを告げられたとき、天使が預かってきた天の御父の言葉に基づいて、自分自身に天の御父の意思が成されるように、と祈りのうちに答えたのです。

 イエズス・キリストの家族になるために聖母マリアが述べた一つの言葉である”fiat”(フィアット)、つまり、「天の御父の意思が私の人生において実現するように私は協力します」という信仰宣言は、まさにイエズス・キリストがお示しになったご自分の家族となる人たちの特徴を表していることが分かります。

 マザーテレサは家族が一緒に祈るとき、神さまがわたしたちに望んでおられることを見出せることを次ように教えてくれました。

マザーテレサの言葉から(『マザーテレサ日々の言葉』74日 女子パウロ会)

わたしは、両親とわたしたち兄弟が、毎晩いっしょに祈っていたことを覚えています。祈りは、わたしたち家族への神からのいちばんすばらしい贈り物です。祈りは家族をひとつにしてくれます。ですから、家族の祈りに戻りましょう。そして、あなたの子どもたちに祈りを教え、いっしょに祈りましょう。祈りを通して、あなたは、神があなたにしてほしいと望まれることを見つけるでしょう。

 暑い日の続く8月ですが、「教会の心臓」として私たちのために祈り続けて下さる観想修道会の方々を想いながら、天の父である神の意思がわたしたち一人ひとりの人生の中で実現するように協力する決意を聖母マリアの取り次ぎのうちに神さまに捧げながら、イエズス・キリストの兄弟、姉妹として、イエズス・キリストの家族の一員として迎え入れられる喜びを胸に刻みながら歩んでまいりましょう。

 

十字架のしるしと神様の御名とわたしたちの名前

末吉町教会「街の灯」2019年6月号巻頭言

十字架のしるしと神様の御名とわたしたちの名前

末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

5月は聖母月ということで、日曜日の11:00から沢山の方が参加して下さり、ロザリオの祈りをお捧げすることが出来ました。沢山の世代の方々が織りなす美しい祈りの調べが末吉町教会の聖堂に響いたことは、何よりも尊く美しい聖母マリアへの捧げものになったことと思います。祈りに参加してくださった皆様、ありがとうございました。

また、5月12日には信徒有志の方々の主催でミニバザーが開催されましたが、日本共同体、フィリピン共同体、中国共同体、ベトナム共同体、韓国共同体から沢山の方々が協力してくださり、本当に素晴らしい時間をご一緒に過ごすことが出来ました。心から感謝いたします。

5月13日から14日にかけては横浜教区司祭評議会主催の「第46回横浜教区司祭の集い」が御殿場にある神山復生病院で開催されましたが、ハンセン氏病回復者で在院者の藤原さんからも、とても貴重なお話を聞くことが出来ました。神山復生病院には、伝統的に東京の神学院に在院している神学生たちが毎年訪問をするので、私にとっても懐かしい再会となりましたが、現在は回復者の皆様は4名が在インしておられるということで、時が流れていることを実感する機会となりました。また、同時に、本当に物資も乏しかった時代に、命がけで在院する一人ひとりと向き合ってきた歴代の司祭やシスター方の隣人愛の深さを感じる時間となりました。

祈りの初めの十字架のしるしの意味

さて、カトリック教会のお祈りの初めには「十字架のしるし」を刻みます。十字を切るとき、「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。」と唱えながら、「上(父と)→下(子と)→左(聖霊の)→右(み名によって)」に右手でしるしを刻みます。

このしるしは特別な意味を持っています。『カトリック教会のカテキズム』の2157項では次のように説明されています。

「キリスト者は自分の一日、および祈りや行いを始めるにあたって、十字架のしるしをし、『父と子と聖霊のみ名によって。アーメン』と唱えます。受洗者は一日を神の栄光のためにささげ、御父の子供として聖霊の助けを受けながら行動させてくれるキリストの恵みを願います。十字架のしるしは、誘惑や困難に遭うときにわたしたちを強めてくれます。」

一日の始まりにあたって、また、祈りの初めにあたって、十字架のしるしをすることは、私たちが神さまの恵みに守られていることを表していて、その日一日がどの瞬間をとっても聖なるものであることを表しています。そして、わたしたちが一日の中で重荷を担うときにも神さまが一緒に担って下さって軽くして下さることを表しています。イエズス・キリストは次のように優しく教えてくださいました。

【マタイ福音書1125節~30節】

11・25 そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。 11・26 そうです、父よ、これは御心に適うことでした。 11・27 すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。 11・28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 11・29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 11・30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

私たち一人ひとりの名前の不思議

  十字架のしるしを刻んで祈りで一日を始めるとき、イエズス・キリストは私たち一人ひとりにパーソナルに呼びかけて御自分のもとで安らぎを得られるように招いてくださいます。それでは、神さまの目から見て、私たち一人ひとりはどのように映っているのでしょうか。

『カトリック教会のカテキズム』では、次のように説明しています。

2158項:「神は一人ひとりを名指しでお呼びになります。あらゆる人間の名前は聖なるものです。名前は人格の聖画像(イコン・icon)です。その名を持つ人の尊厳のしるしとして尊敬されるべきものです。」

2159項:「授かった名前は永遠性を示す名前です。天の国では、神のみ名を記されたそれぞれの人格の、神秘的で独自の性格がいささかの影もなく輝き出ることでしょう。「勝利を得る者には……白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかにはだれにも分からぬ新しい名が記されている」(黙示録2・17)。「わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っており、小羊とともに十四万四千人の者たちがいて、その額には小羊の名と、小羊の父の名とが記されていた」(黙示録14・1)。」

神さまは一人ひとりの名前を御存じで、一人ひとりの聖なる名前を呼んで下さっていることが分かります。それぞれのご家庭で子どもたち名前を愛情を込めて呼ぶとき、ご両親を通して子どもたちの心に神様の呼びかける声が響き渡り、神さまからの恵みと愛とが注がれていきます。

ご家庭でご家族が一人ひとりの名前を愛情を込めて呼ぶとき、その声を通して一人ひとりの心に神様の呼びかける声が響き渡り、必要な助けと導きが長い人生の歩みの中で備えられていきます。

この一人ひとりのかけがえのない特別な名前は、「永遠性を示す名前」として大切にされ、この地上での人生の間だけではなくて、この地上を旅立って神様のもとへと召されてから、つまり、天国に迎え入れられてからも、その人の魂に固有の特別な名前として永遠に輝き続けます。

聖母マリアにお祈りを捧げる「アヴェ・マリアの祈り」は

 アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、/主はあなたとともにおられます。(大天使ガブリエルの受胎告知のことば)/あなたは女のうちで祝福され、/ご胎内の御子イエスも祝福されています。(叔母のエリザベトのことば)/神の母聖マリア、/わたしたち罪びとのために、/今も、死を迎える時も、お祈りください。アーメン。

という祈りですが、この中でも、後半部分では、「今も死を迎えるときも」マリア様に向かって、聖母マリアの最愛の御子イエズス・キリストを通して天の父である神に私のために必要な恵みと助け、慰めと励ましを下さるように祈り、地上での生活の間ずっと、そして、地上を旅立って天国に迎え入れられる時まで神さまから守ってもらえるように願う祈りとなっています。

イエズス・キリストは、全ての人の名前を神として呼び、そして永遠に続く慰めと喜びに満ちた神の国に至るまで、私たち一人ひとりと一緒にいることを約束して次のように教えておられます。

【ヨハネ福音書102節~4節、11節~16節】

 10・2 門から入る者が羊飼いである。 10・3 門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。 10・4 自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。

10・11 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。 10・12 羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。・・狼は羊を奪い、また追い散らす。・・ 10・13 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。 10・14 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。 10・15 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。 10・16 わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。

私たち一人ひとりの名前を呼んで、幸せな生活を送ることが出来るように恵みを注いでくださる神さまがいることを、私たち一人ひとりが心を込めて捧げる毎日の祈りを通して、そして、ご家庭でご家族と一緒に過ごす時間の中で知ることが出来るとき、私たち一人ひとりの未来は、本当に希望に満ちた日々になっていくのだと言えるでしょう。

神さまの聖なる御名(みな)を唱えるときに起きること

神様の聖なる御名について、4世紀から5世紀にかけて活躍した聖アウグスティヌス司教教会博士は『主の山上のことば』(S. Augustinus, De sermone Domini in monte, 2, 5, 19: CCL 35, 109 [PL 34, 1278])という本の中で次のように述べています。

「神のみ名は、その偉大さと威厳とにふさわしい尊敬をもって口にされるとき、偉大なものとなります。またそのみ名は、崇敬とみ名を傷つけることをおそれる心とをもって口にされるとき、聖なるものとなります。」

私たちがお祈りを始めるときに十字を切りながら「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。」と唱えながら「聖三位一体(せい・さんみいったい)」の神さまのお名前を呼ぶときに、神さまへの心からの尊敬を込めるならば、私たちと神さまの間に深い絆が結ばれていきます。こうして、私たちの生活の中で、神さまの恵みは豊かな実りを結ぶようになっていきます。

イエズス・キリストは、私たちが神さまの聖なる御名を讃えることでキリストにつながるようになり、豊かな実りを結べることを「ぶどうの木」のたとえ話で教えてくださいました。

【ヨハネ福音書151節~5a7節~17節】

 15・1 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 15・2 わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。 15・3 わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。 15・4 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。 15・5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。

15・7 あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。 15・8 あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。 15・9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。 15・10 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。 15・11 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。 15・12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。 15・13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。 15・14 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。 15・15 もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。 15・16 あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。 15・17 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

キリストによって天からの恵みに強められて豊かな実りを日々の生活の中で結ぶことを目指すとき、次のマザー・テレサの言葉はどのご家庭にとっても確かな道しるべになると思います。

マザー・テレサの言葉から(『マザー・テレサ日々の言葉』1231日 女子パウロ会)

 

死や悲しみの代わりに、この世界に平和と喜びをもたらしましょう。

こうするためには、神に、神の平和というたまものを請いねがい、さらに神の子どもである兄弟姉妹として、互いに受け入れ合うことを学ばなくてはなりません。

子どもたちにとって、愛し方や祈り方を学ぶ最善の場所が、家庭であること、そして自分たちの母親と父親の愛や祈りを見て学ぶのだということを、わたしたちは知っています。

家族がしっかりと結ばれているとき、子どもたちは、神の特別な愛を、父親と母親の愛のうちに見出すことができます。そして、子どもたちは自分たちの国を、愛と祈りに満ちた場所にしていくことができるのです。

私たちの6月の歩みがこの世界に平和と喜びをもたらすものとなりますように。

復活節第4主日―世界召命祈願の日―

復活節第4主日―世界召命祈願の日―

末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

4月18日の聖木曜日に捧げられた洗足式を伴う主の晩餐のミサ、19日の聖金曜日に捧げられた十字架の道行きと主の受難の典礼、20日の復活徹夜祭、21日の復活の主日には沢山の方と、イエズス・キリストの受難の道と十字架上の御死去、陰府降下、そして復活をご一緒に祈りをお捧げしながら過ごすことが出来ました。末吉町教会の皆様の深い信仰が表された聖週間、そして復活祭でした。特に、復活徹夜祭には2名の方の成人洗礼式と堅信式があり、キリストにおける新しい兄弟を迎えることが出来たことも本当に大きな喜びです。新受洗者の皆様、本当におめでとうございます。なお、復活徹夜祭と復活祭はフィリピン共同体、中国共同体、韓国共同体、ベトナム共同体と一緒に各国語が用いられた「国際ミサ」でお捧げすることが出来、末吉町教会の多様性と一致が本当によく表れていた素晴らしい祈りとなりました。復活祭には400名を超える参列者がありましたが、庭で行われたミサ後の復活祭パーティーも、晴天に恵まれ、楽しい交わりのひと時となりました。準備をして下さった皆様、本当にありがとうございました。

さて、4月13日(土)から横浜教区のルカ上杉優太神学生(静岡教会出身、東京カトリック神学院神学科3年生)が土日の司牧研修に末吉町教会と港南教会に来てくれるようになりました。来年には助祭叙階を受ける予定の上杉神学生にとって、末吉町教会での聖週間の典礼と復活祭の典礼は、子どもたちも多く参列して典礼奉仕をし、一緒に祈りをお捧げしたので、とても良い体験になったことと思います。

 

 カトリック教会の典礼暦では復活祭から聖霊降臨の主日まで50日間にわたって「復活節」を過ごします。この7週間に及ぶ復活節の各主日には色々なテーマが設けられています。例えば、復活節第2主日は、かつては「白衣の主日」としてお祝いされてきましたが、聖ヨハネ・パウロ2世教皇様によって「神のいつくしみの主日」としてお祝いされています。また、復活節第4主日は「善き牧者」であるキリストを讃えて、ヨハネ福音書10章から選ばれた個所が朗読されることから、「善き牧者の主日」と呼ばれています。ちなみに、第2バチカン公会議後の典礼改革に基づく新しい典礼暦になる以前の1970年より前までは、ヨハネ福音書10章は復活節第2、第3主日に朗読されていたそうです。

このヨハネ福音書10章からは、A年には1-10節、B年には11-18節、C年には27-30節が朗読配分として割り当てられています。

【善き牧者A年の福音】

10:1「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。10:2門から入る者が羊飼いである。10:3門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。10:4自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。10:5しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」10:6イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。10:7イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。10:8わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。10:9わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。10:10盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。

【善き牧者B年の福音】

10:11わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。10:12羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――10:13彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。10:14わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。10:15それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。10:16わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。10:17わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。10:18だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」

【善き牧者C年の福音】

10:27わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。10:28わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。10:29わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。10:30わたしと父とは一つである。

復活節第4主日には、イエズス・キリストがご自分の羊の群れのために命をかけて向き合ってくださることを毎年記念することから、カトリック教会では「世界召命祈願の日」として、召命のために特別に祈る日とされています。ちなみに、この「世界召命祈願の日」は、第2バチカン公会議の最中、1963年に聖パウロ6世教皇様によって導入されたので、今年で56回目を迎えます。この日に合わせて、毎年教皇メッセージが発表されますが、フランシスコ教皇様は第56回「世界召命祈願の日」にあたって、「神との約束のために危険を顧みない勇気」という題名のメッセージを発表されました。教皇様はキリスト者として生きることへの招きについて次のように述べています。

【第56回「世界召命祈願の日」教皇メッセージから】

わたしは何よりもまず、キリスト者として生きることへの招きについて考えます。それは、洗礼によって皆が受ける招きであり、わたしたちのいのちは偶然の産物ではなく、教会という大家族の中に集う、主に愛されている子というたまものであることを思い起こさせてくれます。キリスト者はまさしく教会共同体の中に生まれ、とりわけ典礼によってはぐくまれるのです。典礼は、神のことばに耳を傾け、秘跡の恵みにあずかるようわたしたちを導きます。この共同体において、わたしたちは幼いころから祈りと兄弟姉妹間の分かち合いのすべを学びます。わたしたちを新しいいのちに生まれさせ、キリストのもとへと導いてくれるのですから、教会はまさにわたしたちの母です。ですから、たとえその顔に弱さと罪というしわを見たとしても、母なる教会を愛さなければなりません。そして教会がより美しく輝き、この世における神の愛のあかしとなるよう力を尽くさなければならないのです。

またキリスト者の生き方は、社会におけるみ国の発展に貢献しつつ、自分たちの航海を正しい方向に向ける選択として表れます。わたしは、キリストのもとに結婚して家庭を築くという選択について考えると同時に、労働や専門職の領域、慈善活動や連帯の分野における取り組み、社会的、政治的責任などと結びついた、他の召命についても考えます。これらの召命は、わたしたちを善と愛と正義の約束の担い手にします。それは自分のためだけでなく、勇気あるキリスト者と神の国の真のあかし人を必要としている、わたしたちの地域の社会と文化に尽くすものでもあるのです。

フランシスコ教皇様は、キリスト者とは洗礼によって教会共同体の中に生まれ、典礼によって育まれることを指摘しています。そして、母なる教会を愛することが大切であり、社会の中で善と愛と正義を実現する使命を帯びていることを指摘しています。また、奉献生活や司祭職への召命についてはメッセージの中で次のように述べています。

【第56回「世界召命祈願の日」教皇メッセージから】

主との出会いの中で、奉献生活や司祭職への招きに心惹かれる人もいるでしょう。完全に自分自身をささげ、福音と兄弟姉妹に忠実に奉仕するよう努めることを通して、教会という舟の中で「人間をとる漁師」になるようにとの招きを感じることは、感激と同時に不安を覚えさせることです。この選択には、主のわざの協力者となるために、思い切ってすべてを捨てて主に従い、自分自身を完全に主にささげることが求められます。心の中にさまざまな抵抗が生じ、その選択を妨げるでしょう。また、きわめて世俗的で、神と福音の入る余地がないように思われる状況では、落胆し、「希望の疲弊」に陥るでしょう(「司祭、奉献生活者、信徒活動団体とのミサでの説教」パナマ、2019年1月26日)。

それでも、主のために危険を顧みないで生きることほど、大きな喜びはありません。とくに若者の皆さんにお願いします。主の呼びかけに対して耳をふさがないでください。主がそのように呼びかけたら、おじけづかずに、神を信頼してください。主から示された高い頂きの前で、身動きできないほどの恐怖心に支配されないでください。主は網や舟を捨ててご自分に従う人に、心を満たし、人生を活気づける、新しいいのちの喜びを約束してくださいます。どうかこのことを忘れないでください。

大切な友である皆さん、自分の召命を識別し、人生を正しく方向づけることは、必ずしも容易ではありません。だからこそ教会全体の各部分――司祭、修道者、司牧養成者、教育者――には、とりわけ若者に傾聴と識別の機会を提供するための、新たな取り組みが求められるのです。とくに祈り、みことばの黙想、聖体礼拝、霊的同伴を通して神の計画を知る助けとなる、青年司牧と召命推進の活動は不可欠です。

ワールドユースデー・パナマ大会で何度もしてきたように、マリアを見つめましょう。この少女の生涯においても、召命には約束と危険が伴いました。その使命は容易なものではありませんでしたが、マリアは恐れに屈しませんでした。マリアの「はい」は、「危険を顧みずに自らかかわる人、自分が約束の担い手であるという確信以外には何も保障がなくてもすべてをかけようとする人の『はい』です。皆さん一人ひとりにお聞きします。自分が約束の担い手だと感じていますか。どんな約束を心に抱き、それにこたえようとしていますか。マリアが困難な使命を担っていたことは疑いようもありませんが、その難しさのゆえに『いいえ』と答えることはありませんでした。もちろん戸惑ったでしょうが、それは、前もってすべてが明らかにされ、保証されていないと身動きがとれなくなる臆病さから生じる戸惑いと同じものではなかったでしょう」(「若者との前晩の祈り」パナマ、2019年1月26日)。

 

フランシスコ教皇様は奉献生活や司祭職への召命について、「心の中にさまざまな抵抗が生じ、その選択を妨げるでしょう。」と述べています。それにもかかわらず、世界中では2016年末現在で116,160人の大神学生と101,616人の小神学生が司祭職への準備を進めています。末吉町教会に迎えた上杉神学生を含めた全世界の神学生達が善き牧者キリストに倣って善き牧者、司祭として歩み始められるよう、心を合わせて祈りましょう。

そして、私たち自身も洗礼によって受けた召命を、聖性を高めていくことで社会の中で豊かに生きることが出来ますように。

復活節を歩む際に心に留めたいマザー・テレサのことば

聖性は、限られた人たちの特権ではありません。それは、あなたや、わたしにとっての単純な務めなのです。わたしは、わたしの生き方をもって、聖人にならなくてはならないし、あなたも同様です。偉大な聖人は、人を思いやることから始まります。もしあなたが、この、人を思いやる術(すべ)を身につけたら、あなたは、もっともっとイエスさまに似ていくことでしょう。イエスさまの心は柔和で、いつも他の人のことを思いやっていたのですから。

(マザー・テレサ日々のことば、2009年11月 女子パウロ会 「6月27日」)

四旬節の歩み方と復活祭の迎え方

末吉町教会「街の灯」2019年4月号巻頭言

四旬節の歩み方と復活祭の迎え方

末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

3月6日の灰の水曜日から四旬節の歩みが始まりました。今年は250名近い方が19:30の灰の水曜日のミサで祈りを捧げ、灰の式を受けることが出来ました。平日の夜遅くの英語ミサにもかかわらず、フィリピン共同体のみならず、日本共同体、韓国共同体、中国共同体、ベトナム共同体からも、沢山の方が参列し、親子で参列してくれた子どもたちも喜んで侍者をしてくれました。これほど多くの人が灰の式に与って四旬節の歩みを始めて下さったことは、末吉町教会が信仰共同体としてキリストへの深い愛のうちに生きていることの「しるし」ですから、本当に素晴らしいと思います。

また、3月16日(土)14:45から17日(日)11:30ミサまでの予定で行われた教会学校1泊2日四旬節黙想会にも、19人の子どもたちが教会で寝食を共にしながら、講話に耳を傾け、ゆるしの秘跡に与り、土曜日の21:00からは聖体賛美式を捧げ、ラテン語の聖体賛歌も本当に美しい天使の歌声で至聖なる聖体の秘跡にまします主イエズス・キリストに捧げていました。なお、17日(日)9:30からは聖パウロ修道会の鈴木信一神父様による大人向けの四旬節黙想会も行われ、本当に充実した祈りが重ねられています。

3月30日(土)には、8:00に集合して27名のフィリピン共同体と日本共同体のメンバーと、主任司祭と協力司祭のディニョ神父様の29名で共に”Visita Iglesia”(ヴィジタ・イグレシア)の祈りを捧げました。今回はマイクロバスを借りて、以前、フィリピン共同体のチャプレンだったマリノ神父様のいらっしゃる相模原教会をはじめとする沢山の教会をめぐり、夕方までかけて各教会で十字架の道行きの各留の祈りを黙想しました。こうして、末吉町教会の各共同体で四旬節に向けて素晴らしい準備の時が刻まれていることは、神さまの恵みがわたしたちを通して沢山の人に注がれていくことを思うとき、素晴らしい実りを復活祭には結ぶことと思います。

さて、四旬節の始まりに当たって灰を受ける式を行うことについては、Irénée Henri Dalmais神父様(1914-2006、ドミニコ会司祭、Institute Catholique de Paris名誉教授)の “The Liturgy and Time”(Liturgical Press 1986)の69頁以下でまとめられていますが、要約すると次のようになります。

古代の教会では大罪の状態に陥って秘跡に与ることを禁止されていたカトリック信者が、ふさわしい悔い改めの時間(多くの場合は3年ほど)を過ごしたうえで、教会共同体から正式に迎え入れられるきっかけとなる式として行われていました。このような習慣はガリア地方(現在のフランス)からイスラム教徒の支配下の地域になっていた現在のポルトガル周辺まで広範囲で実践されていました。

その後、1091年にはウルバヌス2世教皇様によって、「ベネヴェント会議(Council of Benevento)の教令において、「灰の水曜日には聖職者も信徒も全ての者が灰を受ける」と定めらました。

このように、ローマ典礼カトリック教会においては、灰の水曜日に断食を行い灰の式を受けることは11世紀には誰もが行うことになっていきました。私たちの典礼における祈りが長い伝統を受け継ぐものであることを考えるとき、灰を受けることの重みを感じて背筋が伸びる思いがします。

フランシスコ教皇聖下は今年の四旬節メッセージのテーマを『「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます」(ローマ819)』として次のような招きの言葉を述べています。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん

神は母なる教会を通して、「信じる人々が復活の神秘を喜びのうちに待ち望み、年ごとに心を清めて迎えるよう導かれます。こうしてわたしたちは……新しいいのちの秘跡にともにあずかり、神の子の豊かな恵みに満たされます」(「叙唱」四旬節一)。ですからわたしたちは、キリストの過越の神秘によってすでに与えられている救いの完成に向けて、復活祭から復活祭へと歩むことができます。「わたしたちは、このような希望によって救われているのです」(ローマ8・24)。地上の生活においてわたしたちの中ですでに働いているこの救いの神秘は、歴史と全被造物をも含む動的なプロセスです。聖パウロが述べているように、「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます」(ローマ8・19)。(略)

四旬節が、心を清めて新しいいのちのあり方に目を向ける季節、つまり、イエズス・キリストが十字架上でなし遂げて下さった「贖(あがな)いの神秘」によって永遠のいのちへの道が拓かれ、天国の扉が開かれたことを思い起こす季節であることを考えるとき、四旬節メッセージの中のフランシスコ教皇聖下の次の指摘は、私たち一人ひとりが真剣に考えなければならないものであることが分かります。

1. 被造物のあがない

典礼暦の頂点であるキリストの受難と死と復活を記念する聖なる過越の三日間は、御子の姿に似た者となること(ローマ8・29参照)は神のあわれみのはかり知れないたまものであることを自覚して、備えの道を旅するようつねに招いています。

人は、神の子として生きるならば、聖霊の導きのもとに(ローマ8・14参照)あがなわれた者として生きるならば、さらには自分自身の心と自然界に刻まれたおきてを始めとする神のおきてを理解し、実践できるならば、被造物のあがないに協力することを通して、「被造物のためにも役立つことができます」。だからこそ、聖パウロが述べているように、被造物は神の子たちが現れるのを切に待ち望んでいるのです。別のことばで言えば、イエスの過越の神秘の恵みにあずかる人は、人間のからだのあがないの成就という実りを、十分に味わいます。聖人たちは、キリストの愛によっていのち――霊、魂、からだ――を変えられ、神を賛美します。そして、アシジの聖フランシスコの賛歌「太陽の歌」に素晴らしいかたちで表れているように、彼らは祈り、観想、芸術を通して、被造物をも巻き込みながら神を賛美します(回勅『ラウダ―ト・シ』87参照)。しかし、あがないによって生まれたこの世界の調和は、罪と死という負の力によって絶えず脅かされ続けています。

2. 破壊をもたらす罪の力

実際、神の子として生きていなければ、わたしたちはたびたび隣人や他の被造物に対して――自分自身にさえ――破壊的な態度をとり、すべてを自分の意のままに利用できるという考えを、多かれ少なかれ抱いてしまいます。それにより、節度のない行いが横行し、人間の条件と自然を尊ぶことからくる制約を逸脱した生活様式が現れ、歯止めの利かない欲望に従うようになります。「知恵の書」によれば、その欲望は神を信じない者、つまり自分の行いについても、未来への希望についても神をよりどころとしない者たちのものです(2・1-11参照)。もしわたしたちが絶えず復活祭へと、主の復活の地平へと向かわなければ、「すべてを今、欲しい」「つねにもっと欲しい」といった考え方がますますはびこることは明らかです。(略)

神のおきて、愛のおきてを捨て去るなら、弱肉強食の法則を肯定するようになります。人間の心に潜む罪(マルコ7・20-23参照)――それはどん欲であること、過剰な幸せを求めること、他者の幸せに対して、そしてしばしば自分の幸せにさえ無関心であることとして表れます――は、被造物、人間、環境からの搾取をもたらします。その搾取は、あらゆる欲望を権利としてとらえ、最終的には手中にしているものすら破壊してしまう、飽くなき欲望によるものです。

フランシスコ教皇聖下のこの指摘は、私たち一人ひとりの日常生活の中でよって立つ価値観はどのようなものであるかを考えることを求めていると言えるでしょう。フランシスコ教皇聖下は、2018年3月19日聖ヨゼフの祭日に使徒的勧告『喜びに喜べ―現代世界における聖性―』(“Gaudete et Exsultate”)を公布しましたが、その中で「山上の説教(垂訓)」の中から特に「真福八端」を解説しておられます。

 

「柔和な人々は、幸いである。その人たちは地を受け継ぐ」

71項: 至るところに争いがあり、どこもかしこも憎悪だらけで、考え方、風習、さらには話し方や服装でもって他者をランクづけすることをやめない、始まりからずっと反目の場であるこの世界にあって、これは衝撃的なことばです。結局世界は、他者よりも上になることは権利だとだれもが信じている高慢と虚栄の国です。けれども、不可能に思われたとしても、それでもイエスは、別の生き方を示します。柔和です。それはご自分の弟子たちに対して実践されたことであり、エルサレム入城によって見えてくるものです。「見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和なかたで、ろばに乗って」(マタイ21.5。ゼカリヤ9.9参照)。

72項: そのかたはいわれます。「わたしは柔和で謙遜な者だから、……わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」(マタイ11.29)。他者に対してピリピリして、イライラと尊大でいれば、しまいにはへとへとに疲れ切ってしまうでしょう。けれども他者の限界や欠点を、自分のほうがまともだという思いを抱くことなく、優しく柔和な心で受け止めるなら、彼らに手を差し伸べることができ、無益な不平不満にエネルギーを使わなくなるでしょう。リジューの聖テレジアにとっては、「真の愛徳は、他人の欠点を忍耐し、彼らの弱さを驚かず」にいるということです。

74項: 柔和さは、神だけに信を置く者が内面において貧であることのもう一つの表現です。事実聖書ではしばしば、anawimという同一の語が、貧しい人と柔和な人を指すのに用いられています。こう反論する人もいるかもしれません。「あまりに物腰柔らかでいたら、人から頭が弱いとか、お人好しの馬鹿とか、気が弱いとか思われてしまう」。そういうこともあるでしょうが、それならそれで、その人にはそう思わせておきましょう。優しく接することはつねによいことで、それによってわたしたちの大きな望みはかなうはずです。柔和な人は「地を継ぐ」、すなわち、彼らは生涯の中で神の約束が果たされるのを目にするのです。柔和な人は、いかなる状況にあろうとも、神に希望し、主に希望を置く者は地を継ぎ、揺るぎない平和を得るからです(詩編37.9、11参照)。主もまた、そうした者に信頼を寄せます。「わたしが顧みるのは、苦しむ人、霊の砕かれた人、わたしのことばにおののく人」(イザヤ66.2)。

――謙虚に柔和に応じること、それが聖であるということです。

フランシスコ教皇聖下は、今年との四旬節メッセージの中で、謙虚に柔和に生きることのしるしとして、改めて四旬節の行いである「断食と祈り、施し」について次のように教えておられます。

3. 悔い改めとゆるしがもつ、いやす力

(略) 「断食」とは、他者と被造物に対する姿勢を変えるすべを身につけることです。それは、自分の強欲を満たすために何もかも「むさぼりたい」という欲望から離れて、心の空白を満たしてくれる愛のために苦しむことのできる状態へと変わることです。「祈り」は、偶像崇拝や、自力で何でもできるという考えを捨てるために、また、自分には主と、主のいつくしみが必要であることを宣言するためにささげます。「施し」は、未来は自分たちのものではないにもかかわらず、その未来を手に入れられると錯覚し、自分自身のためにすべてを蓄えて生きようという愚かな考えを捨てるために行います。こうしてわたしたちは、兄弟姉妹と全世界を愛し、その愛のうちに真の幸せを見いだすという、被造物とわたしたちの心に神が用意してくださった計画がもたらす喜びを実感するのです。

私たち自身が「断食と祈り、施し」を通して、「むさぼりたい」という欲望から自由になり、神の恵みと導きに心を開くことの大切さに気付き、共に生きる全ての人々を兄弟姉妹として大切にし、いのちある全ての被造物への優しさを身に着けていくことで、いのちの祝祭である復活祭を大いなる喜びのうちに迎えることができるよう、準備の日々を歩んでまいりましょう。

四旬節を歩む際に心に留めたいマザー・テレサのことば

 子どもたちは、彼らを受け入れ、彼らを愛して、彼らをほめ、彼らを誇りとしてくれる、だれかを熱望しているのです。

子どもたちを、わたしたちの注意や関心の中心にもう一度戻そうではありませんか。こうすることが、唯一、この世界が生き延びる道なのです。

子どもたちは、未来への唯一の希望だからです。お年寄りが神に呼ばれるとき、その子どもたちだけが、彼らの場所を引き継ぐことができるのです。

(『マザー・テレサ日々のことば』、2009年11月 女子パウロ会 「9月27日」)

カーニバルと四旬節―キリストの受難の道の記念

末吉町教会「街の灯」2019年3月号巻頭言

カーニバルと四旬節―キリストの受難の道の記念

末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

2019年は3月6日(水)の灰の水曜日から四旬節が始まります。世界中で、灰の水曜日に先立ってカーニバルが盛大に行われます。このカーニバルとカトリック教会の間には深いつながりがあります。

カーニバル(謝肉祭)と四旬節

世界中では毎年、カーニバルが盛大に開催されます。有名なところでは世界三大カーニバルとしてブラジルのリオ・デ・ジャネイロのカーニバルやドイツのケルンのカーニバル、イタリアのヴェネツィアのカーニバルがあります。毎年のカーニバルは、キリスト教の信者たちがイエズス・キリストの復活を祝う復活祭に先立って行う40日に及ぶ悔い改めの季節である「四旬節(英語では”Lent”)」の直前に行われています。

  ドイツでは、四旬節が始まる「灰の水曜日(Aschermittwoch)」に先立つ「バラの月曜日(Rosenmontag)」に色々な町で、沢山の「謝肉祭の行列(Fastnachtsumzug)」が見られます。そして、沢山の山車の上からお菓子が投げられるので、観客は抱えきれないほどのお菓子を袋一杯に集めます。ケルンのカーニバルでは、100万人の人が毎年訪れ、7kmにも及ぶ4時間続くパレードを楽しみながら、お酒を飲み、ソーセージをはじめとする肉製品を食べるので、カーニバルのパレードの後は、酔っぱらった人々が町中にあふれます。私も何度かケルンのカーニバルには行きましたが、盛大でした。

右の写真は、ケルン大聖堂でカーニバル参加者のためのミサを司式した際のケルン大司教、ヴェルキ枢機卿猊下と子供のカーニバル参加者です。

 ヴェネツィアのカーニバルは、2019年は2月17日に始まり、3月5日(火)まで続きますが、仮面をかぶって仮想をする伝統が11世紀からあるそうです。左の写真はヴェネツィアのカーニバルで仮装した人々です。

  リオ・デ・ジャネイロのカーニバルは1723年に始まった記録が残っており、現代では毎日200万人の人が観客としてサンバチームの踊りを楽しむそうです。

カーニバルは、ヨーロッパで昔から使われてきたラテン語という言葉の、“Carne levare!“ (お肉よ、お別れじゃ!)という言葉から生まれました。

ドイツ語のカーニバルの別名のFastnacht(ファストナハット)という単語は、「断食の前の夜」という意味です。ちなみに、英語で朝食を意味するbreakfast(ブレックファースト)も、「断食を破る」という意味で、一日で最初の食事を意味しています。

カーニバルは断食と結びついていますが、これは、キリスト教の祈りのカレンダーである「典礼暦」の「四旬節」(Lent)と関わりがあります。

灰の水曜日-四旬節の始まりの日

  カーニバルが終わった次の水曜日、2019年では3月6日に、全世界で13億人のカトリック信者は「灰の水曜日」を過ごします。

「灰の水曜日」のミサ聖祭では、聖職者(教皇、司教、神父)から自分の額に「灰のしるし」を皆が受けます。

左の写真は、ローマのサンピエトロ大聖堂でフランシスコ教皇聖下がミサを捧げ、「灰のしるし」をしている写真です。「灰のしるし」をする時に、ミサの司式者は「悔い改めて福音を信じなさい」と言いながら、祝別された特別な灰を額に授けます。この「灰のしるし」は、神から心が離れていってしまう弱さもある私たちが、ちゃんと神に心を向ける決心を新たにするするためのしるしです。

四旬節とは

 「灰の水曜日」から「復活祭」(イースター)の前の日までの期間を、四旬節、ラテン語では”Quadragesima”(クアドラジェシマ・40の)、ドイツ語ではFastenzeit(ファステンツァイト・断食節)といいます。

四旬節の「旬」という言葉は、毎月の上旬、中旬、下旬という言い方でも使いますが、「十日間」という意味です。ですから、「四旬節」は「四十日間」という意味になります。

「復活祭(イースター)」は、キリストが世界中の人々の罪を償い、全能の父である神からのいつくしみに満ちたゆるしをもたらすために、ご自分のいのちを十字架の上で犠牲として捧げたのち、3日目に死者のうちから復活したことをお祝いしています。ですから、毎年、全世界のキリスト教信者たちは、「主の復活」(イースター)のお祝いの前に、必ず「主の受難」と呼ばれるキリストの十字架の上での犠牲と死を思い起こす期間を過ごします。この期間のことを「四旬節」と呼びます。

 四旬節は、自分のしてしまった過ちや悪いことを反省したり、するべきだったことでしなかったことを反省するための期間です。また、周りにいる人たち、家族や友人、職場の同僚、先生、地域で出会う人々に優しくしたり、困っている人がいるときには自分から進んで助けるという、善行を進んで実践する期間でもあります。

「四旬節」の間、自分の好きなおやつやお菓子、たばこやお酒等、嗜好品を我慢(断食)して、その分のお金を世界中で食べ物が無くて飢えに苦しんでいる人たちのために贈ることも素晴らしい行いです。カリタスジャパンでは毎年「四旬節愛の献金」を集め、助けを最も必要とする人々のもとへと届けています。

これらの善行は、全世界の人たちの救いのために、イエス・キリストが十字架の上で苦しんだ受難を私たちも一緒に生きるために行われます。

「四旬節」の間は、「灰の水曜日」と復活祭直前の「聖金曜日」は断食の日とされ、18歳から59歳までの健康なカトリック信者は、「大斎」として1食を抜き、他の食事は肉を控え、1食はパンと水だけ、もしくは、アジア圏ではお米と水だけの質素な食事にし、後の1食も軽くして犠牲を捧げることが「カトリック教会の5つの掟」に明記されています。また、「小斎」として、14歳以上の健康なカトリック信者は金曜日に肉食を控え、特に愛徳の業を行うことも明記されています。

ヨーロッパ諸国、特にドイツのカトリックが主流の地域では50年前までは四旬節中は、主の復活を祝う日曜日・主日と、典礼暦の祝祭日以外の日については、卵や乳製品や肉を食べない生活をしてきたので、今でも、ドイツの地方のレストラン等では、四旬節中は肉料理を提供しないところもあります。なお、鶏が生み続けた卵は、固ゆでして保存して置き、復活祭を迎えてから食べる習慣もあるので、復活祭のお祝いの際に「イースターエッグ」を食べるようになりました。

キリストの受難の道の始まり

最後の晩餐

十字架へと至る主の受難の道は、「最後の晩餐」から始まります。右の絵は、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院にある、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」の絵です。

  この「最後の晩餐」の席上で「ミサ」が制定されました。マタイ福音書には次のように記されています。

「26:26一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。『取って食べなさい。これはわたしの体である。』26:27また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。『皆、この杯から飲みなさい。26:28これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。』」

オリーブ山での祈り

イエズス・キリストと弟子たちは、最後の晩餐の後で「オリーブ山」と呼ばれる場所に行きます。そして、祈りを始めます。マタイ福音書には次のように記されています。

「26:36それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。26:37ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。26:38そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」26:39少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」26:40それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。26:41誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」26:42更に、二度目に向こうへ行って祈られた。「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」26:43再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。26:44そこで、彼らを離れ、また向こうへ行って、三度目も同じ言葉で祈られた。26:45それから、弟子たちのところに戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。26:46立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」」

裁判

イエス・キリストは当時のローマ帝国ユダヤ属州総督であったポンティオ・ピラトのもとに引き出されました。マタイ福音書には次のように描かれています。

 「27:11さて、イエスは総督の前に立たれた。総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。27:12祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。27:13するとピラトは、「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」と言った。27:14それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った。27:15ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。27:16そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。

27:17ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」27:18人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。27:19一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」27:20しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。27:21そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。

27:22ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。27:23ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。27:24ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」27:25民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」27:26そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。27:27それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。27:28そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、27:29茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。27:30また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。」

ゴルゴダの丘へ

イエズス・キリストは激しい拷問と侮辱を受けたのち、十字架を担がされてゴルゴダという丘、「されこうべの場所」と呼ばれる場所まで歩かされます。そして、他に2人の盗賊とともに十字架にかけられます。

  十字架にかけられたとき、次のような会話があったことがルカ福音書には記されています。

23:39十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」23:40すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。23:41我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」23:42そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。23:43するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

こうして、イエズス・キリストは十字架の上で息を引き取り、墓に葬られました。

 

 

 

四旬節を歩む際に心に留めたいマザー・テレサのことば

 神の優しさの、生きている表現でありなさい。あなたのまなざしに神の優しさが、あなたの表情に神の優しさが、あなたのほほえみに神の優しさが、あなたの暖かいあいさつに、神の優しさが表れますように。わたしたちは皆、ほんの少しお役に立ち、そして、過ぎていく神の道具なのです。思いやりの行為の表れ方は、その行為そのものと同じように大切なことだと、私は信じています。

(マザー・テレサ日々のことば、2009年11月 女子パウロ会 「4月13日」)

私たちの四旬節の歩みが、自らの悔い改めと周囲の人々への善業で彩られ、主の復活を喜び迎える準備となるようにお互いに励まし合いながら歩めると良いですね。

2月8日は「世界反人身売買、祈りと黙想と行動の日(International Day of prayer and awareness against Human Trafficking)」

末吉町教会「街の灯」2019年2月号巻頭言

2月8日は「世界反人身売買、祈りと黙想と行動の日(International Day of prayer and awareness against Human Trafficking)」

末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

1月13日(日)には成人式と新年会が行われ、7名の新成人の祝福式がありました。未来に向けての大きな希望に満ちている新成人が、神さまの恵みに満たされて素晴らしい歩みを重ねていくことが出来ることを本当に頼もしく思いました。

  成人式の後で、13日(日)深夜の飛行機でタイに飛び、14日(月)から21日(日)深夜に帰国するまでアジア司教協議会連盟(FABC)の神学関係局(OTC: Office of theological concerns:局長はタグレ枢機卿様(フィリピン・マニラ大司教))の会議に参加しました。例年、5月に会議が開催されますが、今年は聖座の教理省長官であるラダリア枢機卿様や第二次官のデ・ノイア大司教様他、教理省代表団との会議日程も組まれていたため、1月に開催となったそうです。

 会議は、神学関係局のメンバーとのプログラムと、アジア司教協議会連盟加盟の各国司教協議会にある司教団教理委員会委員長の枢機卿、大司教、司教と教理省とのプログラムが並行して行われており、写真のように、6名の枢機卿、19名の大司教、司教、そして私たち神学関係局の神学者委員での会議となりました。なお、今年FABC会長を退任したインドのグラシアス枢機卿様(教皇様の顧問枢機卿委員会の委員も兼任)や、新しく会長になったミャンマーのボー枢機卿様も参加していました。

今回のFABC-OTCの会議は、アジア司教協議会連盟が来年50周年を迎えるにあたり、アジアの教会の福音宣教について神学的洞察を行い、基本文書として2020年に発行するためのものでした。題名は”Our Journey Together: Encountering the Emerging New Realities in Asia.”(共に歩む私たちの旅:アジアで生じている新しい現実との出会い)というもので、南アジア、中央アジア、東南アジア、東アジアの現状を踏まえての文書となります。アジアは世界中の人口の6割が居住する地域で、カトリック教会の中でも多数を占めているのですが、それぞれの国や地域の置かれている状況が極めて異なるものであることを、今回、会議の中で改めて痛感しました。また、移住・移動者の送り出し国、受け入れ国の教会の連携についても深めて行くことが今後、ますます重要になることにも気づかされました。

さて、カトリック教会ではフランシスコ教皇聖下のイニシアチブで2015年から2月8日を「世界反人身売買、祈りと黙想と行動の日」と定めました。

国連の『国際移住機関』(International Organization for Migration: IOM)によると、人身取引(人身売買とも言う、Human Traffickingの訳) とは以下の通りとされています。

【人身取引(トラフィッキング)の定義】(http://japan.iom.int/activities/trafficking_top.html)

『国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人、特に女性及び児童の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書(人身取引議定書)』 では、人身取引を以下のように定義しています。IOMもこの定義を採用しています。

「“人身取引”とは、搾取の目的で、暴力その他の形態の強制力による脅迫若しくはその行使、誘拐、詐欺、欺もう、権力の濫用若しくはぜい弱な立場に乗ずること又は他の者を支配下に置く者の同意を得る目的で行われる金銭若しくは利益の授受の手段を用いて、人を獲得し、輸送し、引渡し、蔵匿し、又は収受することをいう。搾取には、少なくとも、他の者を売春させて搾取することその他の形態の性的搾取、強制的な労働若しくは役務の提供、奴隷化若しくはこれに類する行為、隷属又は臓器の摘出を含める。」

(同議定書第3条(a))

では、フランシスコ教皇様は、なぜ2月8日を世界反人身売買のための日にしたのでしょうか。

 

【2月8日は聖ジュゼッピーナ・バキータの記念日】

2000年に聖人に列聖されたカノッサ修道女会(Canossian Daughters of Charity)の聖ジュゼッピーナ・バキータ修道女は、1869年にアフリカ大陸にあるスーダンの南ダルフール地方のオルゴッサ村で男3人、女3人の6人兄弟のダジュ族の家に生まれました。

当時、スーダンでは地元の人を捕まえて、他の人に売り飛ばしてしまう悪い奴隷商人が沢山いました。ジュゼッピーナのお姉さんも1874年、運悪く、さらわれてしまいました。そして、1876年には、7歳のジュゼッピーナもアラビア人に誘拐され、奴隷商人に売られてしまい、とても苦しい奴隷としての生活をしなくてはなりませんでした。1ヶ月間監禁され、それから、必死で逃げ出しましたが、再び捕まりました。

ある日などは、はげしく殴られ、気絶して倒れても、血の海の中に放っておかれました。また、トルコの将軍に買われた時は、将軍の妻に、胸、お腹、腕などをカミソリで114か所も切られ、刺青を無理矢理いれられました。傷口はなかなか治らず、治療もしてもらえず、一カ月も放置されたこともありました。

  1885年、16歳のときにはイタリア副領事に買い取られ、イタリアのヴェネチアに移住し、ついに1889年、20歳のときに奴隷の身分から解放されて自由になりました。このときのことを、ジュゼッピーナは、「わたしが死ななかったのは、わたしをすばらしいことのために用意された主の奇跡なのです」と振り返っています。

自由になったジュゼッピーナは、カトリックの洗礼を受ける事を望み、1890年に洗礼と堅信の秘跡、そして初聖体をヴェネチア大司教のアゴスティニ枢機卿様から受けました。

そして、修道女として一生を神さまと人々のために捧げようと決心して、カノッサ修道女会に入会し、1896年には、シスターとしての修道誓願を宣立しました。そして、1947年、78歳で帰天するまで、神さまと人々のために全生涯を捧げました。

【聖ジュゼッピーナ・バキータ修道女のことば】

人々は私の過去の話を聞くと「かわいそう! かわいそう!」と言います。でも、もっとかわいそうなのは神を知らない人です。私を誘拐し、ひどく苦しめた人に出会ったら、跪いて接吻するでしょう。あのことがなかったら、私は今、キリスト者でも修道女でもないからです。

 2月8日は「世界反人身売買、祈りと黙想と行動の日International Day of prayer and awareness against Human Trafficking)」

聖ジュゼッピーナ・バキータの苦難に満ちた生涯を振り返るとき、現代でも幼いジュゼッピーナが体験したのと同じような苦しみを経験している子供たちや女性たちが世界中に沢山いることが分かります。聖バキータの経験は、今日も世界中で繰り返されています。

そこで、カトリック教会では2015年から2月8日を「世界反人身売買、祈りと黙想と行動の日」として世界中で聖ジュゼッピーナ・バキータの記念日を祝うとき、聖人の取り次ぎを祈りながら「人身売買に反対してともし火を灯そう」というテーマで世界中で祈りを捧げます。国際連合(United Nations)、のILO、国際労働機関(International Labor Organization)が調べたところ、2014年には、2100万人の人々が世界中で、人身売買(Human Trafficking)の被害者であり、毎年、新たに70万人から200万人が被害者になります。

2月8日には、世界中のカトリック教会は心を一つに合わせて、人身売買の被害者が1日も早く、この辛くて苦しい状況から助け出されるように心を込めて祈り、具体的な支援活動を促進するための取り組みを国際規模で深める決意を新たにします。

【フランシスコ教皇様の人身売買への言及】

フランシスコ教皇様は使徒的勧告『福音の喜び(Evangelii Gaudium)』(2013年11月24日)の中で次のように人身売買について言及しています。

211項:種々の形態の人身売買の標的となる人々の境遇には、つねに心が痛みます。わたしたち皆に訴える、神の叫びに耳を傾けてください。「お前の弟は、どこにいるのか」(創世記4・9)。奴隷にされている、あなたの兄弟姉妹はどこにいますか。非合法の町工場、売春組織、子どもを利用する物乞い、隠れて働かねばならない非正規滞在者の労働―そうした中で、あなたが日々殺している兄弟はどこにいますか。ぼんやりしていてはなりません。それは、数多くの共犯者を生むことなのです。神の問いは、あらゆる人に向けられています。マフィアによるこうした異常な犯罪はわたしたちの町に根づいています。そして多くの人が、安穏として黙っているという共犯によって、己の手を血で染めているのです。

マタイ福音書:イエス・キリストの困っている人への手助けの勧め―神の国を受け継ぐために

カトリック教会が反人身売買の立場を堅持するのは、イエズス・キリストの教えが背景にあります。マタイ福音書の25章でイエズス・キリストは次のように教えています。

 25:31「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。25:32そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、25:33羊を右に、山羊を左に置く。

25:34そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。25:35お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、25:36裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』25:37すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。25:38いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。25:39いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』25:40そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

25:41それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。25:42お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、25:43旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』25:44すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』25:45そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』25:46こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

私たち一人ひとりが自分の生活の中で、自分の生活の安全が守られていることが神の恵みによる特別な境遇であることを改めて思い起こしながら、人身取引(人身売買)の被害に苦しんでいる人々に必要な助けがもたらされ、その境遇から脱することが出来るように、祈り、働きかけることが出来る2月になると素晴らしいですね。

新年あけましておめでとうございます。

末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

新年あけましておめでとうございます。今年も港南教会の皆様にとって神様の恵みに満たされた素晴らしい年になるよう心からお祈りいたします。

  末吉町教会のクリスマスは、24日の19:30から教会学校のクリスマスページェント(聖劇)で幕を開けました。子どもたちは一生懸命練習し、イエズス・キリストのご降誕の場面に入り込んで役になりきって演じてくれたので、あたかも2000年以上前のベトレヘムにいるかのような気持ちになることが出来ました。また、ページェントの幕と幕の間の歌は、各国語で歌われましたが、末吉町教会の中ではクリスマスのお祝いが国境も国籍も越えて私たち全員の共通の大きな喜びであることを感じることが出来ました。

 

12月28日から29日にかけては、横浜教区召命錬成会第1回侍者会合宿が日本カトリック神学院東京キャンパスで行われ、40名を超える参加者が教区中から集まりましたが、末吉町教会からも2人の参加者があり、司教ミサの際の侍者奉仕について学び、実際に梅村司教様司式のミサで侍者をしてくれました。

 

末吉町教会には、外国共同体も多くありますが、12月16日(日)には14:00英語ミサの後でフィリピン共同体のクリスマスの集いがあり、また、クリスマス前の9日間のクリスマス・ノベナ・ミサである「シンバンガビ・ミサ」も捧げられました。

 12月22日(土)には、ベトナム共同体のクリスマスミサとクリスマスの集いが捧げられました。グェン神父様とマイ・タム神父様とが来てくださり、ベトナム語でのミサが捧げられました。私もベトナム語で福音朗読をしました。

 

  12月29日(土)には中国共同体の「一年感謝のミサ」が捧げられ、160名ほどの参加者を得て、ミサ後にも盛大なお祝いが行われました。

 

こうして、外国共同体の方々も、日本人の方々も同じ信仰を生きるキリスト者として、平和の君としてお生まれになったイエズス・キリストを心を一つに合わせてお祝いすることが出来たことを、主任司祭として本当に嬉しく思います。

  さて、1月1日は「神の母聖マリア」の祭日をお祝いする「守るべき祝日」です。この「守るべき祝日」という表現に込められているのは、カトリック信者全員がミサに与って祈りを捧げる義務を負っている聖なる日、という意味です。末吉町教会の1月1日のミサも、深夜0時のミサでも、11:30のミサでも沢山の方で聖堂がいっぱいになりました。深夜0時からのミサで侍者をしてくれた皆さんはみんな、眠さに打ち勝って立派に侍者奉仕をしてくれました。なお、今年も「神の母聖マリア」の祭日には、深夜0時の末吉町教会のミサと、9:30の港南教会のミサと11:30の末吉町教会のミサをお捧げしました。

 

1月1日は聖母マリアの大きなお祝いであると同時に、「世界平和の日」としても祝われています。1月1日が世界平和の日とされ、全世界のカトリック信者が平和のために祈るようになったのは、比較的最近のことです。それは、ベトナム戦争が激化していった時代に、1966年10月のロザリオの月を「平和の元后」である聖母マリアに祈り、神様が世界に平和を与えて下さるようにロザリオの祈りを心を込めて祈ることを全カトリック信者に呼びかけた聖パウロ6世教皇聖下の教皇回勅『Christi Mater(キリストの母)』をきっかけとしています。

聖パウロ6世教皇聖下は、平和への祈りを取り次いでくださるように祈りつづけ、ついには、1968年1月1日を期して、元旦を「世界平和の日」として聖母マリアの取り次ぎのうちに平和のために祈るようにお定めになりました。そして、それ以来、カトリック教会では1月1日に世界平和を願って祈りがささげられているのです。

聖パウロ6世教皇聖下がより頼んだ「平和の元后」という聖母マリアの称号ですが、これは、第1次世界大戦が激化していく中で、多くの人々が命を戦争の惨禍の中で落としていったときに、聖母マリアにより頼んで祈る「ロレトの連祷(れんとう)」にベネディクト15世教皇聖下が「平和の元后」の称号を加えたことに端を発しています。その後、「平和の元后」である聖母マリアへの祈りは、歴代の教皇様によって捧げられてきました。

2019年1月1日の「世界平和の日」にあたっては、フランシスコ教皇聖下は「よい政治は平和に寄与する」という題で平和メッセージを発表されました。その中から重要な点を以下に抜粋します。

1.「この家に平和があるように」

イエスは弟子たちを宣教へと派遣するにあたり、彼らに告げました。「どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる」(ルカ10・5-6)。

平和をもたらすことは、キリストの弟子の使命の核心です。そしてその相手は、人類の歴史に刻まれた悲劇と暴力のただ中で、平和を願い求めるすべての人です【1】。イエスのことばにある「家」とは、それぞれの個性と歴史をもつ各家庭、各共同体、各国、各大陸であり、なによりもまず一人ひとりの人間です。だれも分け隔てされたり、差別されたりすることはありません。それはまた、わたしたちの「共通の家」、すなわち神がわたしたちを住まわせてくださり、心を配って大切にするよう求めておられるこの地球でもあります。

したがって新年を迎えるにあたり、わたしも祈りたいと思います。「この家に平和があるように」。

2.よい政治の挑戦

平和は、詩人シャルル・ペギーが語る希望、すなわち暴力という石の間で咲こうとする、か弱い花のようなものです。だれもが認識しているように、どんな犠牲を払ってでも権力を求めることは、虐待と不正義につながります。政治は市民権と人間活動を築くうえでの基本的な手段ですが、それをつかさどる人々が、人間社会に奉仕するのでなければ、抑圧、疎外、さらには破壊の道具にすらなってしまいます。

「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」(マルコ9・35)と、イエスは語りました。聖パウロ六世が強調しているように、「地方、地域、国、全世界といったそれぞれのレベルで真摯に政治に取り組むことは、一人ひとりの人間には、具体的な現実を識別する義務、さらには都市、国家、人類の善をともに達成するために与えられた、選択の自由の重要性を認める義務があることを意味します」。(略)

3. 人権と平和に寄与する政治にとっての愛のわざと人間的徳

教皇ベネディクト十六世は次のように述べています。「すべてのキリスト者は、その呼ばれている役割と、社会体制(ポリス)の中での影響力の度合いに応じて、この愛を実践するよう召されています。……愛によって動かされたとき、共通善への献身は、単に世俗的かつ政治的な立場がもつものよりも大きな価値をもちます。……地上での人間の活動は、愛によって鼓舞され、持続させられるとき、人類という一つの家族の歴史の目的である普遍的な神の国の建設に貢献します」。正義、公平、相互尊重、率直、誠実、忠実といった、よい政治活動の基盤である人間的徳を実践しながら、人類家族の善のためにともに働くことを望む政治家は、どんな文化的、宗教的な背景をもっていようとも、この指針に同意することでしょう。

この点については、2002年に死去した福音の忠実なあかし人、ベトナムのフランシスコ・ザヴィエル・グェン・ヴァン・トゥアン枢機卿が示した「政治家の真福八端」を思い起こすとよいでしょう。

自分の役割に対して高い意識と深い理解をもつ政治家は、幸いである。

信頼できる人柄の政治家は、幸いである。

自分の利益のためにではなく、共通善のために働く政治家は、幸いである。

一貫して忠実である政治家は、幸いである。/一致を実現する政治家は、幸いである。

抜本的改革を行うために尽力する政治家は、幸いである。

耳を傾けることのできる政治家は、幸いである。

ひるまない政治家は、幸いである。

改選や選挙期日のたびに、また国民生活が節目を迎えるたびに、正義と法の起源と基準点に立ち返る機会が訪れます。わたしたちはこう確信します。よい政治は平和に寄与します。よい政治は、基本的人権を尊重し、促します。それらは互いに果たすべき義務でもあります。こうして、現在と未来の世代の間に信頼と感謝のきずなが結ばれるのです。

(略)

7. 平和に向けた偉大な計画

わたしたちは先日、第二次世界大戦後に採択された世界人権宣言の70周年を祝いました。このことに関して、聖ヨハネ二十三世教皇のことばを思い起こしましょう。「人間は、自分の権利を意識するようになるにつれ、当然その権利に対応する義務にも気づくようになります。権利を有するということは、その権利を行使する義務を伴います。なぜなら、権利は尊厳の現れであるからです。そして、他のすべての人々にも、その権利を認め尊重する義務があります」。

平和は、人々が責任を担い合い、支え合うことに基づく政治の偉大な計画の実りにほかなりません。しかしそれは、日々、取り組むべき挑戦でもあります。平和は心と魂の回心であり、心と共同体におけるこの平和には、切り離すことのできない三つの側面があることは容易に理解できます。

―自分自身との平和。聖フランシスコ・サレジオの勧めに従って、頑固さ、怒り、忍耐力のなさを克服してください。そして「他者に少し優しく」するために、「自分自身に少し優しく」してください。

―他者との平和。家族、友人、見知らぬ人、貧しい人、苦しんでいる人といった人々と物おじせずに会い、そのことばに耳を傾けてください。

―被造物との平和。神のたまものの偉大さを再発見し、わたしたち一人ひとりは地球の住人、市民、未来の担い手として、責任を共有していることを再認識してください。

人間の弱さを熟知し、それに対処できる平和な政治は、救い主の母、平和の元后であるマリアが、すべての人間の名のもとに歌った賛歌(マニフィカト)の心にいつでも立ち返ることができます。「そのあわれみは代々に限りなく、主をおそれる者に及びます。主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、……あわれみをお忘れになりません、わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに」(ルカ1・50-55)。     バチカンにて

フランシスコ教皇様は、新年に当たり「この家に平和があるように。」と祈り、ベネディクト16世教皇様が指摘する、愛による共通善への献身、つまり、愛によって鼓舞された地上の人間的活動が神の国を建設することを指摘しています。また、平和は心と魂の回心であり、心と共同体における平和には、自分自身との平和、他者との平和、被造物との平和が欠かせないことも併せて教えておられます。新しく始まったこの1年の私たちの歩みの中で、救い主の母、平和の元后であるマリアの賛歌を心に留めて、主への畏敬の念のうちに、神さまのいつくしみを出会う人、一人ひとりに心を込めてプレゼントしていくことが出来れば素晴らしいですね。

日本で初めてのクリスマスのお祝いとクリスマスツリーの起源とは

日本で初めてのクリスマスのお祝いとクリスマスツリーの起源とは

末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

11月中は死者の月ということもあり、11月4日(日)には、永遠の安息をお祈りする方々の芳名録がミサの際に奉納され、心を一つに合わせて神さまのいつくしみを帰天したお一人おひとりのためにお祈りすることが出来ました。また、午後には、末吉町教会相沢墓地と上大岡墓地で、墓参の祈りをお捧げいたしました。今年は雨が降っていましたが、沢山の方々がご自分のご家族のお墓での祈りを、心を込めてお捧げ下さいました。

また、11月11日には8名の7歳、5歳、3歳の子どもたちの七五三の祝福式がミサの中で行われました。神さまの恵みに満たされて温かい家庭の中で、一人一人が健やかに成長していくことができるようお祈りしました。本当におめでとうございます。

 
そして、11月25日には8名の子どもたちが初聖体式を無事に迎えることが出来ました。聖体の秘跡を受けるとき、子どもたちの顔はイエズス・キリストをお迎えできる喜びで光り輝いていました。準備にあたって下さった教会学校リーダーの皆さま、また、パーティーの準備をして下さった皆さま、本当にありがとうございました。

  11月23日には日本カトリック神学院東京キャンパスでの神学院ザビエル祭に、神奈川第3地区の7教会から2台のバスが二俣川教会と末吉町教会から出発して参加することが出来ました。

東京カトリック神学院と福岡サンスルピス神学院が統合してから10年が経過しましたが、来年からは再び二つの神学院に分かれ、それぞれ九州教会管区(長崎大司教区、福岡教区、大分教区、鹿児島教区、那覇教区)の神学生のための福岡カトリック神学院と、大阪教会管区・東京教会管区(大阪大司教区、広島教区、高松教区、京都教区、名古屋教区、東京大司教区、横浜教区、さいたま教区、新潟教区、仙台教区、札幌教区)の神学生のための東京カトリック神学院になりますので、今年が日本カトリック神学院としては最後のザビエル祭でした。来年以降は、福岡カトリック神学院に移籍する九州教会管区の神学生たちが東京キャンパスに勢ぞろいすることはありませんので、日本中の教区神学生たちの姿が一堂に会することも今後は当分ありません。

   ザビエル祭では神学生たちが沢山の企画を準備し、来場者たちと親しく交わっており、本当に心温まる時間を過ごすことが出来ました。なお、末吉町教会から出発したバスには、保土ヶ谷教会、港南教会、戸部教会、磯子教会からの方も乗車しており、バスの中ではお互いに自己紹介をしたり、一緒にロザリオの祈りを一環ささげたりして、教会を超えた交流をすることもできました。来年は新設される東京カトリック神学院とはなりますが、ザビエル祭は開催されることと思うので、沢山の方が参加してくだされば幸いです。

 

さて、今年も待降節が始まり、新しい典礼暦年を迎えました。主イエズス・キリストが人類の救い主とお生まれになるのを待ち望む待降節の歩みの中で、私たち一人一人が神さまの恵みを深く味わうことが出来ると素晴らしいと思います。

ちなみに、クリスマス(Christsmas)という名前は、英語でChrist + Mass、つまり、「キリストのミサ」という名前に由来します。イエズス・キリストがイスラエルにあるベトレヘムという町の馬小屋で誕生したことをお祝いします。イエズス・キリストの誕生日のお祝いの日に、世界中のキリスト教徒が聖なるミサを捧げることからこの名前が付けられました。(*語史…英語Christmas←中英語Cristemasse ←古英語Cristes Maesse)

日本で初めて行われた、平和の君であるイエズス・キリストの誕生を讃える主の降誕、つまり、クリスマスのお祝いは、1549年8月15日に鹿児島に上陸し、日本にキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエル神父様の来日から3年半後の1552年12月に、現在の山口県周防でカトリック宣教師たちが日本人信徒を招いて捧げたクリスマスミサと言われています。この時以来、江戸時代のキリシタン禁教令の時代には司祭は不在となった時代もありましたが、潜伏キリシタンたちには帳方、水方、聞方の三役があり、特に帳方は典礼暦の基本となる「御帳」をもとにして主の復活祭をお祝いする日取りを毎年決め、また、主の降誕祭をはじめとする祝祭日をお祝いするように共同体を指導してきました。したがって、日本では聖フランシスコ・ザビエル神父様の時代から途切れることなく主の降誕を讃え祝うクリスマスのお祝いは行われてきたことが分かります。

それでは、クリスマスのお祝いに欠かせないクリスマスツリーは、日本ではいつから飾られるようになってきたのでしょうか。

日本では12月7日を「クリスマスツリー記念日」としていますが、この日付に日本でのクリスマスツリーの起源を考えるヒントが隠されています。1886年(明治19年)12月7日に、横浜に1885年に開業した「明治屋」が横浜港に寄港する船員たちに向けて、クリスマスツリーのディスプレイを始めたことから、日本では12月7日が「クリスマスツリーの日」とされています。その後、1900年(明治33年)に「明治屋」が銀座にお店を構え、クリスマスツリーをはじめとするクリスマスデコレーションをするようになり、また、クリスマス商戦を展開していったことから全国に広がっていったそうです。

例えば、1928年(昭和3年)の東京朝日新聞では、12月6日から5日連続で「話題と解説」というコラム欄でクリスマスの特集がされたそうです。5日連続の読み物で、初日は「クリスマスの謂われ」、2日目は「欧州のクリスマス事情」、3日目は「サンタクロース」、4日目は「クリスマスプレゼント」、5日目は「クリスマスのお祝い料理」となっていました。各家庭でのクリスマスのお祝いが90年前には一般的に定着していたことがわかります。

このように、横浜の街は近代日本のクリスマス文化の発祥の地として特別な位置を占めています。

それでは、クリスマスツリーはどのように始まったのでしょうか。

  ドイツのカトリック教会には、「ドイツ人の使徒(“Apostel der Deutschen“)」と呼ばれる大切な聖人がいます。その聖人の名前は、ボニファチウス(Bonifatius)です。

聖ボニファチウスは、675年頃、今のイギリスにあったウェセックス王国(Wessex)で、とても豊かな家庭に生まれました。生まれたときの名前は、ウィンフリート(Winfrid)です。ウィンフリートは、小さいころから勉強が大好きでした。そこで、ベネディクト会の修道院で神学を勉強して、30歳のときにベネディクト会で神父様になりました。 

716年には、宣教師として海を渡って、北海に面したドイツの沿岸地方のフリースラント(Friesland)でキリスト教を沢山の人に教え始めました。 

718年には、ローマに出かけ、グレゴリオ2世教皇聖下からボニファチウスという名前をいただきました。ボニファチウスという名前は、ラテン語のBonus(ボーヌス)、日本語の「良い・善い」とラテン語のfacius(ファチウス)、日本語の「為す者」が合わさった言葉で、「良い(善い)ことをなす者」という意味です。

ボニファチウスはゲルマニア(Germania)、今のドイツに戻ってから、もっと熱心にキリスト教を多くの人々に伝えました。そして、722年11月30日に、全ゲルマニアの司教になりました。そして、732年には大司教に任命されました。

ボニファチウスの熱心な祈りと働きによって、ザルツブルク(Salzburg)、フライジンク(Freising)、レーゲンスブルク(Regensburg)、パッサウ(Passau)に司教区が設立されました。

  また、745年には、フランクフルトの隣の町のマインツに大司教区が設立され、ボニファチウスはマインツ大司教になりました。また、744年には、フルダにベネディクト会の修道院を建立しました。

 なお、ボニファチウスは、754年にキリスト教をフリースラントに伝えに行ったとき、武器を持った人たちに殺されてしまいました。こうして、ボニファチウスは殉教者になりました。お墓は、フルダにあるベネディクト会の修道院の中にありましたが、今では、お墓の上にフルダ教区の司教座大聖堂が建てられています。現代では、ドイツ司教協議会は司教総会を開く際にはフルダ教区のカテドラルで、つまり、聖ボニファチウス大司教の墓所の上でミサを捧げてから会議を始めることが習慣になっています。

この聖ボニファチウスが司教に叙階されて間もないころ、722年12月24日に、キリスト教を伝える福音宣教の旅をしていたとき、ガイスマール(Geismar=現在のフリッツラー(Fritzlar)という村を訪れました。そして、暗い森の中で火を燃やしながら、村人がユ-タイド(冬至)のお祭りをしているのを見つけました。

  ユータイドの祭りでは、毎年、大きな樫の木に宿る雷と戦(いくさ)の神である「ト-ル」に馬を捧げていましたが、その年は疫病が流行したり、食べ物が少ししかとれなかったので、人々はトールの神の怒りを鎮めるために、族長(王様)の一人息子をいけにえに捧げようとしていました。 

神官が少年をひざまずかせて、その頭上に黒い斧を振り下ろそうとしたとき、聖ボニファチウス司教様の杖が斧をくい止めました。いけにえをトール神に捧げることを邪魔された神官はとても怒って、「このよそ者を叱り、罰してください」と樫の木に向かって祈りました。しかし、怒り狂う神官を無視して、聖ボニファチウス司教様は斧で樫の木を切り倒してしまいました。トール神が樫の木に宿っていると信じていた人々はとても混乱し、戸惑いましたが、聖ボニファチウス司教様は 「これはただの木です。 真の神さまのためにここに教会を建てましょう。」と村の人々に言いました。

そして、切り倒された大木は周りの木を残らずなぎ倒してしまいましたが、横に小さな青々としたモミの若木が一本だけ倒れずに残されていました。聖ボニファチウス司教様はこのモミの木を指さしながら、「このモミの木は生きている。これこそ、あなたたちの新しいキリスト教の信仰のしるし、私たちに真の救いをもたらす救い主がかけられた十字架の木の印です。」と言いました。

村人たちは、聖ボニファチウス司教様と一緒に族長(=王様)の家にこのモミの木を運び、家の中に飾りました。そして、聖ボニファチウス司教様を囲んで、全人類の救い主であるイエズス・キリストの誕生の話を聞き、彼らにとっての初めてのクリスマスを祝いました。

  クリスマスツリーは、私たちが祈るときに胸に刻む十字架のしるし、つまり、私たち全人類の救いのためにイエズス・キリストが十字架の木の上で偉大なわざを成し遂げ、自分の生命をすべての人のために捧げたことを思い起こすことと深くつながっています。

私たちもこの待降節の間、クリスマスツリーを目にするたびに、イエズス・キリストが私たちのために成し遂げて下さった大いなる救いのわざを思い起こしながら、勝利の印である十字架の木を想い、私たちのうちに嬰児(みどりご)としてお生まれになってくださったイエズス・キリストを心から喜び迎える準備が出来ると素晴らしいですね。

11月9日は『ローマと世界のすべての教会堂の母であり頭』であるラテラン教会献堂の祝日

11月9日は『ローマと世界のすべての教会堂の母であり頭』であるラテラン教会献堂の祝日

末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

  10月中は、まず、10月5日(金)に20時から「全世界児童100万人聖体礼拝」が捧げられました。子供の参加者は中国共同体を中心に、フィリピン共同体や日本人共同体も含めて40名弱、大人も含めた総参加者は80名ほどでした。これは、全世界の華人カトリック共同体で毎年1回、聖堂でご聖体の秘跡におられるイエズス・キリストを聖体顕示器(オステンソリウム)に顕示し、その前で5大陸の必要のためにロザリオの祈りを、各1連をそれぞれの大陸のために捧げ、聖体の秘跡による祝福を受けるというベネディクションの祈りです。祈りは中国語でしたが、沢山の子どもたちが聖体の秘跡におられるイエズス・キリストの前で全世界の人々のために心を込めて祈りを捧げる姿は本当に素晴らしかったです。

  また、10月8日(月・体育の日)には、前日本カトリック神学院院長のフランシスコ・ザビエル中野裕明司教様の叙階式が鹿児島市の宝山ホールで行われました。私も日本カトリック神学院の福岡キャンパスで教会論を教えていますし、ちょうど10月9日(火)が神学院での講義日でしたので、朝1番の飛行機で鹿児島に移動して叙階式に行ってきました。本当に沢山の信者さんたちが奄美群島や鹿児島県内のあちこちから集まり、祈りに満ちた時間でした。また、会場を移して行われた祝賀会では中野司教様がテーブルを一つ一つまわってお話をしておられましたが、私のいたテーブルでも色々なお話をすることが出来ました。これからの鹿児島教区の福音宣教の歩みの上に神様の恵みが豊かに注がれ、素晴らしい実りを結ぶことができるようお祈りしています。

 

10月中は、20日(土)から21日(日)にかけて、聖光学院を会場として日本カトリック障害者連絡協議会(略称:カ障連)の横浜全国大会が開催されましたが、末吉町教会からも沢山の方々がボランティアでスタッフとして準備、運営にあたってくださり、また、多くの方が参加してくださいました。本当にありがとうございます。

10月21日(日)には、フィリピン共同体では14:00の英語ミサでフィリピン人初の列聖された聖人であるサン・ロレンソ・ルイス・デ・マニラのお祝いをすることが出来ました。聖ロレンソ・ルイスは1600年頃マニラで生まれ、良き父として過ごしていましたが、スペインの植民者への殺人の冤罪で容疑者とされ、宣教師が乗っていた日本行きの船に乗って命からがらフィリピンを脱出しました。ところが、船が琉球に到着したところで宣教師と共にカトリック信者であるということで捕縛され、長崎に護送されて棄教するように拷問を受けましたが、カトリック信仰を守ったために1637年9月27日に長崎・西坂の丘で穴吊りの刑に処せられて殉教しました。聖ロレンソは「聖トマス西と15殉教者」の一人として1981年にフィリピンのマニラで聖ヨハネ・パウロ2世教皇様によって列福され、1987年にローマで列聖されました。サン・ロレンソ・ルイスはフィリピンの守護聖人なのでミサの後、パーティーがありました。

さて、11月9日は『ローマと世界のすべての教会堂の母であり頭』であるラテラン教会献堂の祝日を全世界の教会でお祝いします。この祝日は、主日に当たった場合でも必ずお祝いされる特別な日です。これは、ラテラン教会の持つ特別な歴史と教会の中での位置によるものです。

ラテラン教会はミラノ勅令でローマの禁教令が解かれた翌年の324年にローマ司教(教皇)座教会としてコンスタンティヌス皇帝により建てられ、シルヴェステル1世教皇によって献堂式が執り行われました。

この場所にはラテラヌス家の豪華な邸宅が建てられていました。ラテラヌス家のプラティウスが執政官を務めていた時に、キリスト教迫害を指揮したネロ皇帝(在位54年~68年)への反乱の容疑で捉えられ、邸宅と財産が帝国に没収されましたが、4世紀に入り、コンスタンティヌス大帝がマクセンティウス帝の妹のファウスタと結婚した際に、この邸宅を手に入れました。その後、コンスタンティヌス皇帝の宮殿として使用され、キリスト教の信仰をコンスタンティヌス大帝が公認したのちに313年頃に宮殿が教会に移譲されました。それ以来、ローマ皇帝がここに居住するようになり、その一部が聖堂として整備されました。

10世紀にセルギウス3世教皇が、新設された洗礼堂を記念してカテドラルを洗礼者ヨハネに再奉献し、12世紀にはルシウス2世教皇が聖堂と宮殿を福音記者ヨハネに奉献したことから、二人の聖ヨハネに奉献された教会として、「サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂」と呼ばれるようになっていきます。この場所では、第1から第5ラテラノ公会議が開催されています。第1回は1123年にカリクストゥス2世教皇によって召集されました。

ラテラン教会献堂の祝日には特別な聖書箇所が割り当てられています。

第1朗読はエゼキエル書の47章1~2、8~9、12節です。

彼はわたしを神殿の入り口に連れ戻した。/すると見よ、/水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた。/神殿の正面は東に向いていた。/水は祭壇の南側から出て神殿の南壁の下を流れていた。

彼はわたしを北の門から外へ回らせ、/東に向かう外の門に導いた。/見よ、水は南壁から流れていた。

彼はわたしに言った。/「これらの水は東の地域へ流れ、アラバに下り、/海、すなわち汚れた海に入って行く。/すると、その水はきれいになる。

川が流れて行く所ではどこでも、/群がるすべての生き物は生き返り、/魚も非常に多くなる。/この水が流れる所では、水がきれいになるからである。/この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。

川のほとり、その岸には、こちら側にもあちら側にも、/あらゆる果樹が大きくなり、/葉は枯れず、果実は絶えることなく、月ごとに実をつける。/水が聖所から流れ出るからである。/その果実は食用となり、葉は薬用となる。」

エゼキエル書の預言では、教会を通して神さまの恵みが私たちの生活の隅々にまで行き渡り、清くされ、豊かな実りを結ぶことが生き生きと描かれています。このエゼキエル書で示された教会のあり方は、信仰生活を送る私たち一人一人にとって本当に勇気づけられるものだと思います。私たち自身が、毎日の生活の中で心も魂もカラカラに渇いていたとしても、主の祭壇からあふれ出る恵みによって私たちの心も体も魂も満たされていくのは、「水が聖所から流れ出る」からです。このようなイメージをもって聖堂を訪れ、祈ることが出来るとき、「この川が流れ出る所では、すべてのものが生き返る」という預言の言葉の意味を私たちも深く実感できるようになるのだと言えるでしょう。

さて、第2朗読はコリントの信徒への手紙一 3章9c~11、16~17節です。

〔わたしたちは、〕神の建物なのです。

わたしは、神からいただいた恵みによって、/熟練した建築家のように土台を据えました。/そして、他の人がその上に家を建てています。/ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。

イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、/だれもほかの土台を据えることはできません。

あなたがたは、自分が神の神殿であり、/神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。

神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。/神の神殿は聖なるものだからです。/あなたがたはその神殿なのです。

使徒聖パウロは、教会を理解する時に、私たち信じる者が教会のある部分を構成していると理解していることが分かります。それは、私たち一人一人には、「神の霊が自分たちの内に住んでいる」ことへの気付きが求められているからであり、また、私たち自身が聖霊の神殿、神の神殿であるからです。私たちも、自分自身の中に聖霊をお迎えできるように、心を清め、祈りのうちに歩めると素晴らしいと思います。

また、使徒聖パウロはエフェソの教会に宛てた手紙の中では次のように述べています。

【エフェソ5:21-29】

5:21キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。5:22妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。5:23キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。5:24また、教会がキリストに仕えるように、妻もすべての面で夫に仕えるべきです。5:25夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。5:26キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、5:27しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。5:28そのように夫も、自分の体のように妻を愛さなくてはなりません。妻を愛する人は、自分自身を愛しているのです。5:29わが身を憎んだ者は一人もおらず、かえって、キリストが教会になさったように、わが身を養い、いたわるものです。

私たちの人間関係は、花婿であるキリストとキリストの花嫁である教会の間にあるように、「しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる汚れのない、栄光に輝く」ものとなることが出来るのだとパウロは言います。このような人間関係を築く時に大切なのは、やはり、私たち一人一人がキリストの神秘体である教会の一部分であることを深く祈りの中で心に刻むことだと言えます。私たちが一日を始めるとき、朝の祈りの中で、今日も一日、聖霊の神殿として相応しく生きることが出来るように、教会の母である聖母マリアに取り次ぎを願って、私たちの主イエズス・キリストに歩み寄ることが出来れば、私たちの歩みはキリストの愛に満たされ、聖霊と共に歩む輝かしいものとなるのです。

主が洗礼の水の洗いによって私たち一人一人を清めて聖なるものとしてくださったことを心に留め、すべての教会堂の母であるラテラン教会の献堂をお祝いできると素晴らしいと思います。