11月9日は『ローマと世界のすべての教会堂の母であり頭』であるラテラン教会献堂の祝日

11月9日は『ローマと世界のすべての教会堂の母であり頭』であるラテラン教会献堂の祝日

末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

  10月中は、まず、10月5日(金)に20時から「全世界児童100万人聖体礼拝」が捧げられました。子供の参加者は中国共同体を中心に、フィリピン共同体や日本人共同体も含めて40名弱、大人も含めた総参加者は80名ほどでした。これは、全世界の華人カトリック共同体で毎年1回、聖堂でご聖体の秘跡におられるイエズス・キリストを聖体顕示器(オステンソリウム)に顕示し、その前で5大陸の必要のためにロザリオの祈りを、各1連をそれぞれの大陸のために捧げ、聖体の秘跡による祝福を受けるというベネディクションの祈りです。祈りは中国語でしたが、沢山の子どもたちが聖体の秘跡におられるイエズス・キリストの前で全世界の人々のために心を込めて祈りを捧げる姿は本当に素晴らしかったです。

  また、10月8日(月・体育の日)には、前日本カトリック神学院院長のフランシスコ・ザビエル中野裕明司教様の叙階式が鹿児島市の宝山ホールで行われました。私も日本カトリック神学院の福岡キャンパスで教会論を教えていますし、ちょうど10月9日(火)が神学院での講義日でしたので、朝1番の飛行機で鹿児島に移動して叙階式に行ってきました。本当に沢山の信者さんたちが奄美群島や鹿児島県内のあちこちから集まり、祈りに満ちた時間でした。また、会場を移して行われた祝賀会では中野司教様がテーブルを一つ一つまわってお話をしておられましたが、私のいたテーブルでも色々なお話をすることが出来ました。これからの鹿児島教区の福音宣教の歩みの上に神様の恵みが豊かに注がれ、素晴らしい実りを結ぶことができるようお祈りしています。

 

10月中は、20日(土)から21日(日)にかけて、聖光学院を会場として日本カトリック障害者連絡協議会(略称:カ障連)の横浜全国大会が開催されましたが、末吉町教会からも沢山の方々がボランティアでスタッフとして準備、運営にあたってくださり、また、多くの方が参加してくださいました。本当にありがとうございます。

10月21日(日)には、フィリピン共同体では14:00の英語ミサでフィリピン人初の列聖された聖人であるサン・ロレンソ・ルイス・デ・マニラのお祝いをすることが出来ました。聖ロレンソ・ルイスは1600年頃マニラで生まれ、良き父として過ごしていましたが、スペインの植民者への殺人の冤罪で容疑者とされ、宣教師が乗っていた日本行きの船に乗って命からがらフィリピンを脱出しました。ところが、船が琉球に到着したところで宣教師と共にカトリック信者であるということで捕縛され、長崎に護送されて棄教するように拷問を受けましたが、カトリック信仰を守ったために1637年9月27日に長崎・西坂の丘で穴吊りの刑に処せられて殉教しました。聖ロレンソは「聖トマス西と15殉教者」の一人として1981年にフィリピンのマニラで聖ヨハネ・パウロ2世教皇様によって列福され、1987年にローマで列聖されました。サン・ロレンソ・ルイスはフィリピンの守護聖人なのでミサの後、パーティーがありました。

さて、11月9日は『ローマと世界のすべての教会堂の母であり頭』であるラテラン教会献堂の祝日を全世界の教会でお祝いします。この祝日は、主日に当たった場合でも必ずお祝いされる特別な日です。これは、ラテラン教会の持つ特別な歴史と教会の中での位置によるものです。

ラテラン教会はミラノ勅令でローマの禁教令が解かれた翌年の324年にローマ司教(教皇)座教会としてコンスタンティヌス皇帝により建てられ、シルヴェステル1世教皇によって献堂式が執り行われました。

この場所にはラテラヌス家の豪華な邸宅が建てられていました。ラテラヌス家のプラティウスが執政官を務めていた時に、キリスト教迫害を指揮したネロ皇帝(在位54年~68年)への反乱の容疑で捉えられ、邸宅と財産が帝国に没収されましたが、4世紀に入り、コンスタンティヌス大帝がマクセンティウス帝の妹のファウスタと結婚した際に、この邸宅を手に入れました。その後、コンスタンティヌス皇帝の宮殿として使用され、キリスト教の信仰をコンスタンティヌス大帝が公認したのちに313年頃に宮殿が教会に移譲されました。それ以来、ローマ皇帝がここに居住するようになり、その一部が聖堂として整備されました。

10世紀にセルギウス3世教皇が、新設された洗礼堂を記念してカテドラルを洗礼者ヨハネに再奉献し、12世紀にはルシウス2世教皇が聖堂と宮殿を福音記者ヨハネに奉献したことから、二人の聖ヨハネに奉献された教会として、「サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂」と呼ばれるようになっていきます。この場所では、第1から第5ラテラノ公会議が開催されています。第1回は1123年にカリクストゥス2世教皇によって召集されました。

ラテラン教会献堂の祝日には特別な聖書箇所が割り当てられています。

第1朗読はエゼキエル書の47章1~2、8~9、12節です。

彼はわたしを神殿の入り口に連れ戻した。/すると見よ、/水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた。/神殿の正面は東に向いていた。/水は祭壇の南側から出て神殿の南壁の下を流れていた。

彼はわたしを北の門から外へ回らせ、/東に向かう外の門に導いた。/見よ、水は南壁から流れていた。

彼はわたしに言った。/「これらの水は東の地域へ流れ、アラバに下り、/海、すなわち汚れた海に入って行く。/すると、その水はきれいになる。

川が流れて行く所ではどこでも、/群がるすべての生き物は生き返り、/魚も非常に多くなる。/この水が流れる所では、水がきれいになるからである。/この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。

川のほとり、その岸には、こちら側にもあちら側にも、/あらゆる果樹が大きくなり、/葉は枯れず、果実は絶えることなく、月ごとに実をつける。/水が聖所から流れ出るからである。/その果実は食用となり、葉は薬用となる。」

エゼキエル書の預言では、教会を通して神さまの恵みが私たちの生活の隅々にまで行き渡り、清くされ、豊かな実りを結ぶことが生き生きと描かれています。このエゼキエル書で示された教会のあり方は、信仰生活を送る私たち一人一人にとって本当に勇気づけられるものだと思います。私たち自身が、毎日の生活の中で心も魂もカラカラに渇いていたとしても、主の祭壇からあふれ出る恵みによって私たちの心も体も魂も満たされていくのは、「水が聖所から流れ出る」からです。このようなイメージをもって聖堂を訪れ、祈ることが出来るとき、「この川が流れ出る所では、すべてのものが生き返る」という預言の言葉の意味を私たちも深く実感できるようになるのだと言えるでしょう。

さて、第2朗読はコリントの信徒への手紙一 3章9c~11、16~17節です。

〔わたしたちは、〕神の建物なのです。

わたしは、神からいただいた恵みによって、/熟練した建築家のように土台を据えました。/そして、他の人がその上に家を建てています。/ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。

イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、/だれもほかの土台を据えることはできません。

あなたがたは、自分が神の神殿であり、/神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。

神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。/神の神殿は聖なるものだからです。/あなたがたはその神殿なのです。

使徒聖パウロは、教会を理解する時に、私たち信じる者が教会のある部分を構成していると理解していることが分かります。それは、私たち一人一人には、「神の霊が自分たちの内に住んでいる」ことへの気付きが求められているからであり、また、私たち自身が聖霊の神殿、神の神殿であるからです。私たちも、自分自身の中に聖霊をお迎えできるように、心を清め、祈りのうちに歩めると素晴らしいと思います。

また、使徒聖パウロはエフェソの教会に宛てた手紙の中では次のように述べています。

【エフェソ5:21-29】

5:21キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。5:22妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。5:23キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。5:24また、教会がキリストに仕えるように、妻もすべての面で夫に仕えるべきです。5:25夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。5:26キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、5:27しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。5:28そのように夫も、自分の体のように妻を愛さなくてはなりません。妻を愛する人は、自分自身を愛しているのです。5:29わが身を憎んだ者は一人もおらず、かえって、キリストが教会になさったように、わが身を養い、いたわるものです。

私たちの人間関係は、花婿であるキリストとキリストの花嫁である教会の間にあるように、「しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる汚れのない、栄光に輝く」ものとなることが出来るのだとパウロは言います。このような人間関係を築く時に大切なのは、やはり、私たち一人一人がキリストの神秘体である教会の一部分であることを深く祈りの中で心に刻むことだと言えます。私たちが一日を始めるとき、朝の祈りの中で、今日も一日、聖霊の神殿として相応しく生きることが出来るように、教会の母である聖母マリアに取り次ぎを願って、私たちの主イエズス・キリストに歩み寄ることが出来れば、私たちの歩みはキリストの愛に満たされ、聖霊と共に歩む輝かしいものとなるのです。

主が洗礼の水の洗いによって私たち一人一人を清めて聖なるものとしてくださったことを心に留め、すべての教会堂の母であるラテラン教会の献堂をお祝いできると素晴らしいと思います。

 

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