10月は「福音宣教のための特別月間」

10月は「福音宣教のための特別月間」

末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

  8月31日(土)11:00から中国共同体設立10周年記念ミサがイエズス会中国センター長の井上潔神父(イエズス会)の主司式と6名の司祭の共同司式、180名を超える参列者によって捧げられました。このミサで初めて中国語での福音朗読と説教の一部を中国語でしましたが、久しぶりにミサを捧げているときに、緊張で心臓がドキドキしました。ミサ後には神様の恵みに感謝する盛大なパーティーが開催されました。

 中国共同体は2009年に設立されましたが、東京から来たある一人の中国人女性の「横浜にこんなに沢山の中国人信徒がいるならば、横浜でも中国語のミサが行われるべきではないか」という質問がきっかけとなったそうです。しかし、当時、横浜にいる中国人信徒たちの中では、ミサ典礼書もオルガン奏者も聖歌集も無いのに、どのようにミサを始めればよいのか、と途方に暮れ、そこで、イエズス会の中国センターの井上神父様に相談したそうです。その後、ENCOM横浜の支援を受け、梅村司教様から許可を得て中国語ミサが第1、第2日曜日の午前8時から捧げられるようになり、現在では、横浜教区司祭月修のある月末の火曜日の19:00からは高橋慎一神父様(横浜教区、清水教会・草薙教会主任司祭)による平日中国語ミサも捧げられるようになりました。中国共同体では、幼児洗礼、初聖体式を日本語ミサで行い、小教区共同体の家族の一員として教会学校や教会行事に多大な貢献をして下さっています。これからも教会家族の一員として一緒に信仰の旅路を歩んでいくことが出来ることを嬉しく思います。

  また、9月6日(金)から8日(日)までは、フィリピン共同体と長崎巡礼に出かけました。6日(金)午前中に大村空港に到着し、放虎原(ほうこばる)殉教地で祈りを捧げました。ここは明暦3年(1657)603人の潜伏キリシタンが発覚した大事件「郡崩れ」のうち、131人が万治元年(1658)に殉教した場所です。その後、近隣の植松教会に御聖体訪問したところ、金曜日は聖体顕示を行って1日中、祈りが捧げられていました。それから雲仙に出かけ、雲仙教会訪問後、雲仙地獄殉教地に出かけ祈りを捧げました。ここでは1627年から1631年に切支丹への棄教を迫る拷問が高濃度の硫黄泉が噴き出る中で行われ、2008年に列福された188殉教者の内、33名が殉教した場所です。それから長崎市内の中町教会へ移動しました。中町教会は明治29年(1896年)に26聖人殉教300周年を記念して献堂されましたが、原爆で倒壊し、1951年に再建されました。そして、昭和62年(1987年)に聖トマス西と15同志殉教者が26聖人以来、日本の聖人として125年ぶりに列聖されたことを記念して敷地内に16聖人の碑が建てられ、これを祝別するためにマニラ大司教ハイメ・シン枢機卿猊下が来崎されたそうです。そして、中町教会は16聖人に奉献されました。この16聖人のなかにフィリピン人で初めて列聖されたサン・ロレンソ・ルイスが含まれていますから、フィリピン共同体にとってはとても特別な教会として受け止めることが出来たそうです。毎年、長崎大司教が中町教会では16聖人の祝日のミサをお捧げになるそうです。

  7日(土)は五島列島に渡ることを計画していましたが、九州を直撃した台風の影響でジェットフォイルが欠航してしまい、急遽予定を変更して、まずはカテドラルである浦上教会へ向かいました。被爆マリア像の小聖堂で平和を祈ってから外海へと向かいました。外海地区は明治12年(1879年)にプチジャン司教様によって任命を受けたド・ロ神父様が生涯をかけて宣教に尽力した地区ですが、まずは黒崎教会に向かい、それから出津教会へ向かいました。ちなみに、ド・ロ神父様は外海への任命を受ける前は、横浜でサン・モール会のシスター方と一緒に行動していたそうです。今回、出津を訪問して初めて知ることが出来ました。

その後、「岬の聖母」が航行する船の安全を見守る神の島教会を訪問し、祈りを捧げ、また、「岬の聖母」像のある丘に登り、祈りを捧げました。それから、国宝大浦天主堂に向かい、祈りを捧げた後で旧大司教館および旧神学院でキリシタン弾圧や再宣教時代の歩みについて展示を通して色々なことを学びました。そして、現在、小教区教会聖堂として用いられている大浦教会に行き、祈りを捧げました。その後、出島地区を見て二日目が終了しました。

  8日(日)は台風が関東を直撃することが予想されていたので、夜の飛行機を14:55の便に変更しました。まずは長崎大司教館に法務代理の古巣馨神父様を訪問して長崎の信仰の歴史を学びました。その際、大村殉教祭にお出かけになる高見大司教様と中村補佐司教様にもお会いすることが出来ました。その後、浦上キリシタン資料館でキリシタン資料および永井隆博士についての展示を見学し、長崎原爆資料館を見学しました。それから、爆心地へ行き、平和を願って祈りを捧げ、26聖人が殉教した西坂の丘にある西坂教会(日本26聖人記念聖堂)での12:30からの英語ミサで共同司式をしてから大村空港に向かい、空路、横浜に戻りました。

  今回の巡礼で感じたことは、戦国時代からの宣教時代にキリストの福音を受け取った人々の熱意にあふれる堅固な信仰の美しさと、忍耐強さ、また、日本再宣教の時代には、宣教師達は本当に熱意をもってキリストの福音を人々に告げ知らせたということです。今年の「世界宣教の日」は10月20日(日)ですが、フランシスコ教皇聖下は「洗礼を受け、派遣される―世界で宣教するキリストの教会」という題で教皇メッセージを発表されました。このメッセージの中でも、キリストの福音を生き、告げ知らせることの大切さが強調されています。以下は重要な点の抜粋です。

2019年「世界宣教の日」教皇メッセージ】

「洗礼を受け、派遣される――世界で宣教するキリストの教会」

親愛なる兄弟姉妹の皆さん

教皇ベネディクト十五世の使徒的書簡『マキシムム・イルド』(1919年11月30日)公布100周年を記念して、わたしは2019年10月を、宣教活動のための特別な期間とするよう全教会に呼びかけました。ベネディクト十五世の預言者的で先見の明のあるこの書簡は、教会の宣教活動を刷新することと、死んで復活したイエス・キリストの救いを全世界に知らせ、伝えるという使命を福音宣教の視点から見直すことが、今日にあってもいかに重要であるかを認識させてくれます。

このメッセージのタイトル、「洗礼を受け、派遣される――世界で宣教するキリストの教会」は、10月に行われる福音宣教のための特別月間のテーマと同じです。この特別月間を記念することは、第一に、イエス・キリストへの信仰という、洗礼のたまものとして無償で受けた信仰を貫くことの宣教的な意味をあらためて見いだす助けとなります。わたしたちが神の子となるということは、個人としてではなく、つねに教会としての行いです。父と子と聖霊の三位一体の神との交わりから、他の多くの兄弟姉妹とともに新しいいのちが生まれるのです。この聖なるいのちは売り物ではなく――わたしたちは信仰を強制しません――、与え、伝え、知らせるべき宝です。それこそが宣教の意味するところです。わたしたちは無償でこのたまものを受け、だれ一人のけ者にせずに、無償で分かち合います(マタイ10・8参照)。神は、救いの普遍的秘跡である教会を通して、すべての人が真理を知り、ご自身のいつくしみを受けることによって救われるよう望んでおられます(一テモテ2・4、3・15、第二バチカン公会議公文書『教会憲章』48参照)。

(中略)

イエス・キリストのうちに神から与えられる救いの目的の普遍性に基づいて、ベネディクト十五世は、国家主義や自民族中心主義から生じるあらゆる閉鎖性を乗り越え、植民地支配、また経済や軍事における利益と、福音の告知とのあらゆる混同を克服するよう呼びかけました。そして、その使徒的書簡『マキシムム・イルド』において、教会の宣教の神聖な普遍性は、自国や自民族の中だけのものだという考えを捨てるよう求めていると記しました。イエス・キリストによる新たな救いへと文化と共同体を開け放つには、民族や教会が陥っている内向性をすべて克服する必要があります。今日でも教会は、家、家族、故郷、母国語圏、地方教会から出るようにとの呼びかけに、洗礼の恵みによって、進んでこたえる人を求め続けています。そうした人々は、まだイエス・キリストの秘跡とキリストの聖なる教会によって変えられていない世界の人々のもとに派遣されます。神のことばを告げ、福音をあかしし、聖霊のいのちをたたえながら、彼らは回心を呼びかけ、洗礼を授けます。そして一人ひとりの自由を尊重し、派遣された先の人々の文化と宗教と対話しながら、キリスト者の救いを伝えます。つねに教会が必要としている「諸国民への宣教(missio ad gentes)」は、すべてのキリスト者の回心という永続的なプロセスに根底から寄与しています。イエスの過越を信じること、洗礼を授ける教会として派遣されること、地理的、文化的に自我や家族から離れること、罪のゆるしと、個人的、社会的な悪からの解放を求めること。これらすべては、地の果てまで出向く宣教を要求します。

(中略)

わたしたちの母であるマリアに教会の宣教をゆだねます。おとめマリアは、受肉のときから御子と結ばれ、イエスの宣教に全面的に参加し、活動しました。宣教は、十字架のもとで、マリア自身の使命となりました。教会の母として、聖霊と信仰のうちに新しい神の子らが生まれるのを助けておられるのです。

最後に、『マキシムム・イルド』の中ですでに宣教機関として提案されている、教皇庁宣教事業について少し述べたいと思います。教皇庁宣教事業は、宣教の魂である祈りと、全世界に散在するキリスト者の愛のわざをもって、教皇の宣教活動を助ける世界的なネットワークという形で、教会の普遍性のために尽くしています。その献金は、部分教会の福音宣教活動(信仰弘布会)、地方教会の聖職者の養成(使徒聖ペトロ会)、世界中の子どもたちの間での宣教意識の向上(児童福祉会)、キリスト者の信仰の宣教的側面の促進(宣教師連合)において教皇を支えています。わたしは、これらの会をあらためて後押しするにあたって、2019年10月の「福音宣教のための特別月間」が、教皇職のために尽くす彼らの宣教活動の刷新に役立つよう望みます。

この教皇様の指摘は、2019年10月が「福音宣教のための特別月間」であり、私たち一人ひとりが子どもたちに対しても福音を生きることの気高さと美しさを伝え、また、若者に対して聖職者になるように呼びかけ、すべての信徒が福音を真剣に生きるように呼びかけています。

特に注目すべきは、ベネディクト15世教皇聖下の使徒的書簡『マキシムム・イルド』公布100周年にあたって「福音宣教のための特別月間」を定めた点です。ベネディクト15世教皇聖下は1914年9月3日に教皇に即位し、1922年1月22日に帰天されました。つまり、1914年に始まった第1次世界大戦中の教皇であり、第1次世界大戦の終結と平和実現に向けて精力的に仲介した方です。1919年は第1次世界大戦が終結した翌年であり、ヨーロッパに大きな戦禍の傷跡が刻まれていた時代でした。この書簡の中でベネディクト15世教皇聖下は、各国単位の救いや、排他的な救いの理解を排して、神の救済意志は全人類を対象としていることを明確にお示しになりました。その中で、「聖なる生活と善行を通して、主イエズスをより広く告知し、イエズスの愛を広めることこそが宣教活動の目的」であることが強調されています。

末吉町教会でも、日本人共同体、フィリピン共同体、韓国共同体、中国共同体、ベトナム人共同体が全く壁を感じさせることなく、一つの教会の家族として共に信仰生活を歩んでいます。これは本当に素晴らしいことです。これからも、この信仰の歩みを更に深めて行ければと思います。

マザーテレサの言葉から(『マザーテレサ日々の言葉』125日 女子パウロ会)

 わたしたちは神を見いだす必要があります。神を、騒がしさや、落ち着きのないところで見出すことは出来ません。神は、静けさの友です。沈黙の祈りを実践すればするほど、活動においてもっと多くを与えることが出来るのです。大切なことは、わたしたちが言っているのではなく、神がわたしたちにおっしゃること、そして、神がわたしたちを通して、おっしゃっていることなのです。

私たちの10月の日々が、沈黙の祈りを伴う生活となり、神さまとの深い出会いを通して恵みを受け、出会う一人ひとりへの惜しみない思いやりと優しさを与えることが出来ますように。また、ロザリオの聖母の取り次ぎを願いながら、ロザリオの祈りを捧げながら聖母マリアと共に歩みを重ねていくことが出来ますように。

10月は「福音宣教のための特別月間」

末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

  8月31日(土)11:00から中国共同体設立10周年記念ミサがイエズス会中国センター長の井上潔神父(イエズス会)の主司式と6名の司祭の共同司式、180名を超える参列者によって捧げられました。このミサで初めて中国語での福音朗読と説教の一部を中国語でしましたが、久しぶりにミサを捧げているときに、緊張で心臓がドキドキしました。ミサ後には神様の恵みに感謝する盛大なパーティーが開催されました。

 中国共同体は2009年に設立されましたが、東京から来たある一人の中国人女性の「横浜にこんなに沢山の中国人信徒がいるならば、横浜でも中国語のミサが行われるべきではないか」という質問がきっかけとなったそうです。しかし、当時、横浜にいる中国人信徒たちの中では、ミサ典礼書もオルガン奏者も聖歌集も無いのに、どのようにミサを始めればよいのか、と途方に暮れ、そこで、イエズス会の中国センターの井上神父様に相談したそうです。その後、ENCOM横浜の支援を受け、梅村司教様から許可を得て中国語ミサが第1、第2日曜日の午前8時から捧げられるようになり、現在では、横浜教区司祭月修のある月末の火曜日の19:00からは高橋慎一神父様(横浜教区、清水教会・草薙教会主任司祭)による平日中国語ミサも捧げられるようになりました。中国共同体では、幼児洗礼、初聖体式を日本語ミサで行い、小教区共同体の家族の一員として教会学校や教会行事に多大な貢献をして下さっています。これからも教会家族の一員として一緒に信仰の旅路を歩んでいくことが出来ることを嬉しく思います。

  また、9月6日(金)から8日(日)までは、フィリピン共同体と長崎巡礼に出かけました。6日(金)午前中に大村空港に到着し、放虎原(ほうこばる)殉教地で祈りを捧げました。ここは明暦3年(1657)603人の潜伏キリシタンが発覚した大事件「郡崩れ」のうち、131人が万治元年(1658)に殉教した場所です。その後、近隣の植松教会に御聖体訪問したところ、金曜日は聖体顕示を行って1日中、祈りが捧げられていました。それから雲仙に出かけ、雲仙教会訪問後、雲仙地獄殉教地に出かけ祈りを捧げました。ここでは1627年から1631年に切支丹への棄教を迫る拷問が高濃度の硫黄泉が噴き出る中で行われ、2008年に列福された188殉教者の内、33名が殉教した場所です。それから長崎市内の中町教会へ移動しました。中町教会は明治29年(1896年)に26聖人殉教300周年を記念して献堂されましたが、原爆で倒壊し、1951年に再建されました。そして、昭和62年(1987年)に聖トマス西と15同志殉教者が26聖人以来、日本の聖人として125年ぶりに列聖されたことを記念して敷地内に16聖人の碑が建てられ、これを祝別するためにマニラ大司教ハイメ・シン枢機卿猊下が来崎されたそうです。そして、中町教会は16聖人に奉献されました。この16聖人のなかにフィリピン人で初めて列聖されたサン・ロレンソ・ルイスが含まれていますから、フィリピン共同体にとってはとても特別な教会として受け止めることが出来たそうです。毎年、長崎大司教が中町教会では16聖人の祝日のミサをお捧げになるそうです。

  7日(土)は五島列島に渡ることを計画していましたが、九州を直撃した台風の影響でジェットフォイルが欠航してしまい、急遽予定を変更して、まずはカテドラルである浦上教会へ向かいました。被爆マリア像の小聖堂で平和を祈ってから外海へと向かいました。外海地区は明治12年(1879年)にプチジャン司教様によって任命を受けたド・ロ神父様が生涯をかけて宣教に尽力した地区ですが、まずは黒崎教会に向かい、それから出津教会へ向かいました。ちなみに、ド・ロ神父様は外海への任命を受ける前は、横浜でサン・モール会のシスター方と一緒に行動していたそうです。今回、出津を訪問して初めて知ることが出来ました。

その後、「岬の聖母」が航行する船の安全を見守る神の島教会を訪問し、祈りを捧げ、また、「岬の聖母」像のある丘に登り、祈りを捧げました。それから、国宝大浦天主堂に向かい、祈りを捧げた後で旧大司教館および旧神学院でキリシタン弾圧や再宣教時代の歩みについて展示を通して色々なことを学びました。そして、現在、小教区教会聖堂として用いられている大浦教会に行き、祈りを捧げました。その後、出島地区を見て二日目が終了しました。

  8日(日)は台風が関東を直撃することが予想されていたので、夜の飛行機を14:55の便に変更しました。まずは長崎大司教館に法務代理の古巣馨神父様を訪問して長崎の信仰の歴史を学びました。その際、大村殉教祭にお出かけになる高見大司教様と中村補佐司教様にもお会いすることが出来ました。その後、浦上キリシタン資料館でキリシタン資料および永井隆博士についての展示を見学し、長崎原爆資料館を見学しました。それから、爆心地へ行き、平和を願って祈りを捧げ、26聖人が殉教した西坂の丘にある西坂教会(日本26聖人記念聖堂)での12:30からの英語ミサで共同司式をしてから大村空港に向かい、空路、横浜に戻りました。

  今回の巡礼で感じたことは、戦国時代からの宣教時代にキリストの福音を受け取った人々の熱意にあふれる堅固な信仰の美しさと、忍耐強さ、また、日本再宣教の時代には、宣教師達は本当に熱意をもってキリストの福音を人々に告げ知らせたということです。今年の「世界宣教の日」は10月20日(日)ですが、フランシスコ教皇聖下は「洗礼を受け、派遣される―世界で宣教するキリストの教会」という題で教皇メッセージを発表されました。このメッセージの中でも、キリストの福音を生き、告げ知らせることの大切さが強調されています。以下は重要な点の抜粋です。

2019年「世界宣教の日」教皇メッセージ】

「洗礼を受け、派遣される――世界で宣教するキリストの教会」

親愛なる兄弟姉妹の皆さん

教皇ベネディクト十五世の使徒的書簡『マキシムム・イルド』(1919年11月30日)公布100周年を記念して、わたしは2019年10月を、宣教活動のための特別な期間とするよう全教会に呼びかけました。ベネディクト十五世の預言者的で先見の明のあるこの書簡は、教会の宣教活動を刷新することと、死んで復活したイエス・キリストの救いを全世界に知らせ、伝えるという使命を福音宣教の視点から見直すことが、今日にあってもいかに重要であるかを認識させてくれます。

このメッセージのタイトル、「洗礼を受け、派遣される――世界で宣教するキリストの教会」は、10月に行われる福音宣教のための特別月間のテーマと同じです。この特別月間を記念することは、第一に、イエス・キリストへの信仰という、洗礼のたまものとして無償で受けた信仰を貫くことの宣教的な意味をあらためて見いだす助けとなります。わたしたちが神の子となるということは、個人としてではなく、つねに教会としての行いです。父と子と聖霊の三位一体の神との交わりから、他の多くの兄弟姉妹とともに新しいいのちが生まれるのです。この聖なるいのちは売り物ではなく――わたしたちは信仰を強制しません――、与え、伝え、知らせるべき宝です。それこそが宣教の意味するところです。わたしたちは無償でこのたまものを受け、だれ一人のけ者にせずに、無償で分かち合います(マタイ10・8参照)。神は、救いの普遍的秘跡である教会を通して、すべての人が真理を知り、ご自身のいつくしみを受けることによって救われるよう望んでおられます(一テモテ2・4、3・15、第二バチカン公会議公文書『教会憲章』48参照)。

(中略)

イエス・キリストのうちに神から与えられる救いの目的の普遍性に基づいて、ベネディクト十五世は、国家主義や自民族中心主義から生じるあらゆる閉鎖性を乗り越え、植民地支配、また経済や軍事における利益と、福音の告知とのあらゆる混同を克服するよう呼びかけました。そして、その使徒的書簡『マキシムム・イルド』において、教会の宣教の神聖な普遍性は、自国や自民族の中だけのものだという考えを捨てるよう求めていると記しました。イエス・キリストによる新たな救いへと文化と共同体を開け放つには、民族や教会が陥っている内向性をすべて克服する必要があります。今日でも教会は、家、家族、故郷、母国語圏、地方教会から出るようにとの呼びかけに、洗礼の恵みによって、進んでこたえる人を求め続けています。そうした人々は、まだイエス・キリストの秘跡とキリストの聖なる教会によって変えられていない世界の人々のもとに派遣されます。神のことばを告げ、福音をあかしし、聖霊のいのちをたたえながら、彼らは回心を呼びかけ、洗礼を授けます。そして一人ひとりの自由を尊重し、派遣された先の人々の文化と宗教と対話しながら、キリスト者の救いを伝えます。つねに教会が必要としている「諸国民への宣教(missio ad gentes)」は、すべてのキリスト者の回心という永続的なプロセスに根底から寄与しています。イエスの過越を信じること、洗礼を授ける教会として派遣されること、地理的、文化的に自我や家族から離れること、罪のゆるしと、個人的、社会的な悪からの解放を求めること。これらすべては、地の果てまで出向く宣教を要求します。

(中略)

わたしたちの母であるマリアに教会の宣教をゆだねます。おとめマリアは、受肉のときから御子と結ばれ、イエスの宣教に全面的に参加し、活動しました。宣教は、十字架のもとで、マリア自身の使命となりました。教会の母として、聖霊と信仰のうちに新しい神の子らが生まれるのを助けておられるのです。

最後に、『マキシムム・イルド』の中ですでに宣教機関として提案されている、教皇庁宣教事業について少し述べたいと思います。教皇庁宣教事業は、宣教の魂である祈りと、全世界に散在するキリスト者の愛のわざをもって、教皇の宣教活動を助ける世界的なネットワークという形で、教会の普遍性のために尽くしています。その献金は、部分教会の福音宣教活動(信仰弘布会)、地方教会の聖職者の養成(使徒聖ペトロ会)、世界中の子どもたちの間での宣教意識の向上(児童福祉会)、キリスト者の信仰の宣教的側面の促進(宣教師連合)において教皇を支えています。わたしは、これらの会をあらためて後押しするにあたって、2019年10月の「福音宣教のための特別月間」が、教皇職のために尽くす彼らの宣教活動の刷新に役立つよう望みます。

この教皇様の指摘は、2019年10月が「福音宣教のための特別月間」であり、私たち一人ひとりが子どもたちに対しても福音を生きることの気高さと美しさを伝え、また、若者に対して聖職者になるように呼びかけ、すべての信徒が福音を真剣に生きるように呼びかけています。

特に注目すべきは、ベネディクト15世教皇聖下の使徒的書簡『マキシムム・イルド』公布100周年にあたって「福音宣教のための特別月間」を定めた点です。ベネディクト15世教皇聖下は1914年9月3日に教皇に即位し、1922年1月22日に帰天されました。つまり、1914年に始まった第1次世界大戦中の教皇であり、第1次世界大戦の終結と平和実現に向けて精力的に仲介した方です。1919年は第1次世界大戦が終結した翌年であり、ヨーロッパに大きな戦禍の傷跡が刻まれていた時代でした。この書簡の中でベネディクト15世教皇聖下は、各国単位の救いや、排他的な救いの理解を排して、神の救済意志は全人類を対象としていることを明確にお示しになりました。その中で、「聖なる生活と善行を通して、主イエズスをより広く告知し、イエズスの愛を広めることこそが宣教活動の目的」であることが強調されています。

末吉町教会でも、日本人共同体、フィリピン共同体、韓国共同体、中国共同体、ベトナム人共同体が全く壁を感じさせることなく、一つの教会の家族として共に信仰生活を歩んでいます。これは本当に素晴らしいことです。これからも、この信仰の歩みを更に深めて行ければと思います。

マザーテレサの言葉から(『マザーテレサ日々の言葉』125日 女子パウロ会)

 わたしたちは神を見いだす必要があります。神を、騒がしさや、落ち着きのないところで見出すことは出来ません。神は、静けさの友です。沈黙の祈りを実践すればするほど、活動においてもっと多くを与えることが出来るのです。大切なことは、わたしたちが言っているのではなく、神がわたしたちにおっしゃること、そして、神がわたしたちを通して、おっしゃっていることなのです。

私たちの10月の日々が、沈黙の祈りを伴う生活となり、神さまとの深い出会いを通して恵みを受け、出会う一人ひとりへの惜しみない思いやりと優しさを与えることが出来ますように。また、ロザリオの聖母の取り次ぎを願いながら、ロザリオの祈りを捧げながら聖母マリアと共に歩みを重ねていくことが出来ますように。

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