典礼暦年のしめくくり―王であるキリストの祭日

末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

10月6日日曜日には14:00の英語ミサの中で、フィリピン人で初めて列聖されたサン・ロレンソ・ルイスのお祝いをしました。サン・ロレンソ・ルイスはドミニコ会の「ロザリオ会」という毎日ロザリオの祈りを捧げる信心会のメンバーでしたが、「聖トマス西と15殉教者」の一員として1637年9月29日に42歳で長崎の西坂の丘で殉教しました。この16人は死の2日前、9月27日から西坂の丘で拷問を受け、「釣るし」と呼ばれる上下逆さまに吊るされる拷問を受けました。9月29日はカトリック教会の伝統で大天使聖ミカエル、ガブリエル、ラファエルのお祝い日なので、27日から拷問され続け殉教した日本16聖人は9月28日に記念日が定められました。ちなみに、日本16聖人の列福式ミサは聖ヨハネ・パウロ2世教皇様によって1981年2月18日にフィリピンの首都マニラで執り行われ、列聖式ミサはバチカンで聖ヨハネ・パウロ2世教皇様によって1987年10月18日に執り行われました。

(右の写真は毎日ロザリオの祈りを捧げているレジオマリエのメンバーを中心としてサン・ロレンソ・ルイスの御像を前に撮影した写真です。)

さて、10月には横浜教区司祭の年の黙想会がありましたが、40名を超える参加者のうち、最高齢は横須賀大津教会で協力司祭として活躍なさっている94歳のアンドレ・ヴァン・カンペンハウド神父様でした。カンペンハウド神父様は末吉町教会でも主任司祭として私たちを導いてくださっていましたから、皆さんの中でもカンペンハウド神父様との良い思い出をお持ちの方が沢山いらっしゃることと思います。

往路は私の運転で長野県の軽井沢にあるクララ会黙想の家に向かいましたが、その時、沢山の話をすることが出来ました。復路は私が東京カトリック神学院での講義のために軽井沢から直接神学院に移動することになっていたので、磯子教会におられる教区で最年少の牧山善彦神父様が横浜までご一緒でした。カンペンハウド神父様は来年には司祭叙階70周年の「プラチナ祝」をお祝いなさいます。ちなみに、今回初めて「プラチナ祝」という名前を知りました。 

カンペンハウド神父様からは第2バチカン公会議前後の教会の様子についてとても興味深い体験を教えていただきました。その中で、特に印象に残っているのはキリストへの「熱意」、また、福音宣教への「熱意」です。カトリック教会全体が聖霊の光に照らされて、神さまへの憧れを強く感じながら、私たちの生きている世界をより聖なる世界に、より平和な世界に変革していこうという「熱意」に満ちて、皆が活き活きと信仰生活を送っていたことを懐かしそうに振り返っておられたのが印象に残っています。また、横浜教区で教会の建て替えにあたった経験や、教区事務局での経験や三浦海岸教会を設立する際の様子など、横浜教区がどのような歩みをしてきたかも教えてくださいました。

カンペンハウド神父様から新しい教会が誕生するときのお話を聞きながら、末吉町教会が辿ってきた歴史の中で、それぞれの時代にキリストへの「熱意」に燃えた司祭、修道女、信徒の大きな働きがあって現在の私たちがあることを思い起こしました。

末吉町教会は1872年(明治5年)に横浜の居留地外の邦人向けにフランスから来日したサンモール会のメール・マチルドが若葉町に明道小学校を設立し、2階建ての洋館の1階を学校、2階を聖堂にしたことに始まります。なお、キリスト教禁教令の太政官布告が取り下げられたのは1873年(明治6年)2月21日であり、洗礼台帳(Lieber Baptizatorum)には1874年からの洗礼記録が残っています。

その後、1889年(明治23年)の大日本帝国憲法発布によって信教の自由が保障されたことを受け、1890年(明治24年)に今の場所から1つ隣の町内である若葉町に移転し、1894年には教会聖堂が献堂されました。その後、1899年(明治32年)8月12日に火災のため明道小学校が類焼し、廃校となりました。1900年(明治33年)にはサンモール会のシスター方は横浜紅蘭女学校を開校しました。そして、1958年には校名を横浜雙葉中学校・高等学校に変更しました。末吉町教会と横浜雙葉学園はこのように創立の時から深い結び付きがあります。

さて、末吉町教会の歩みの中では、1930年(昭和5年)には若葉町教会聖堂が3月15日に祝別され、4月にはミカエル天使園幼稚園が開学します。1939年6月14日には若葉町教会から保土ヶ谷教会が独立します。その後、1945年5月29日の横浜大空襲で若葉町教会の聖堂、司祭館、幼稚園が焼失してしまいました。若葉町教会は戦後、米軍に接収され、周辺一帯が米軍の軽飛行機(ヘリコプター等)の飛行場となりました。1945年9月には現在の末吉町の地所を手に入れます。1951年には「宗教法人法」の施行に伴い、戦後、「「ミカエル保育園」として運営していた幼稚園を「聖母幼稚園」と改称して宗教法人立幼稚園にしました。1954年(昭和29年)12月26日、2年の工事を経て新聖堂の献堂式を迎えます。新聖堂献堂の翌年、1955年には戸部教会が末吉町教会から独立します。戸部教会の独立から2年後の1957年には磯子教会が末吉町教会から独立します。

1972年には横浜の若葉町に邦人向けの宣教拠点がサンモール会の明道小学校の2階聖堂に設けられたことの100周年を記念して、港南教会の設立準備が始まり、私が主任司祭を兼任している港南教会の聖堂が1973年3月18日に献堂されました。港南教会の草創期にも多くの困難があったことと思いますが、末吉町教会に属していた信徒たち一人ひとりの燃え立つような信仰の「熱意」が1987年の小教区昇格による港南教会の独立という歩みを導き、今日に至る歴史を積み重ねて来る原動力になったのだと思います。

さて、現代のカトリック教会の歩みは1962年から65年に開催された第2バチカン公会議の実りをもとにしています。この公会議では16文書が採択され、聖パウロ6世教皇様によって使徒的権威を持って荘厳に公布されました。その中に「現代世界憲章」(略称:“GS”=ラテン語原文の最初の2単語のGaudium et Spes(「喜びと希望」の意)の頭文字)として知られる「現代世界における教会に関する司牧憲章」があります。この憲章は、現代世界の中で歴史の歩みを続けるカトリック教会がどのように司牧に取り組んでいくべきかについて扱った文書です。その構成は「序文」、「第1部 教会と人間の召命」、「第2部 若干の緊急課題」、「結語」からなりますが、第1部の結びである45項は「初めと終わりであるキリスト」という題名の下で次のように述べています。

『現代世界における教会に関する司牧憲章(現代世界憲章)』45項

教会は世を助け、世から多くを受けながら、一つのこと、すなわち神の国が到来し、全人類の救いが達成されることを目指している。神の民が地上の旅の間に人間家族に提供できる善のすべては、教会が「救いの普遍的秘跡」、すなわち人間に対する神の愛を現すと同時に実現する神秘であるということから来ている。

万物を造った神のみことば自身が肉となったのは、完全な人間として、すべての人間を救い、万物を一つに再統合するためであった。主は人類の歴史の目的であり、歴史と文明のもろもろの願望が収斂する焦点であり、人類の中心、すべての心の喜び、すべてのあこがれの成就である。このかたこそ、父が死者からよみがえらせ、高く挙げ、その右に座らせ、生者と死者の審判者として立てたかたである。彼の霊によって生かされ、集められたわれわれは、人類の歴史の完成に向かって旅している。それは「天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめる」(エフェソ1・10)という神の愛の計画にまったく合致する。

主自身がいっている。「見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである」(黙示録22・12-13)。

ベネディクト16世名誉教皇様は、第2バチカン公会議閉会40周年を目前にした2005年11月20日(日)のバチカンでの「お告げの祈り」の言葉で『現代世界憲章』に言及して、王であるキリストについて次のように説明しました。

『お告げの祈り』2005年11月20日 教皇ベネディクト16世

親愛なる兄弟姉妹の皆様。

今日は、典礼暦の最後の主日である、全宇宙の王であるキリストの祭日を祝います。おとめマリアから生まれた、父のひとり子は、その誕生が告げられたときから、「王」といわれました。この「王」とは、救い主の意味です。すなわち、この王は、預言者たちが約束した通り、ダビデの王座を継ぎ、永遠に支配するからです(ルカ1・32-33参照)。

キリストの王としての威厳は、30歳になるまで、まったく現されることがありませんでした。キリストは30年間、ナザレで普通の生活を送ったからです。それから、イエスは、公生活において、新しい神の国を始めました。この神の国は、「この世には属していない」(ヨハネ18・36)ものでした。そして、イエスは、最後にその死と復活により、神の国を完全に実現しました。復活して、弟子たちに現れたとき、イエスは彼らにこういわれました。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」(マタイ28・18)。この権能は、愛に由来するものです。この愛を、神は御子の奉献によって完全に示しました。キリストの国は、あらゆる時代の人々に与えられたたまものです。ですから、受肉したことばを信じる者は、「一人も滅びないで、永遠のいのちを得る」(ヨハネ3・16)のです。だからこそ、聖書の最後に置かれたヨハネの黙示録は、こう告げ知らせます。「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである」(黙示録22・13)。

「初めと終わりであるキリスト」。これが、40年前に発布された、第二バチカン公会議の『現代世界憲章』第1部の最後の節の標題です。神のしもべ、教皇パウロ六世のことばの一部を引用しながら、このすばらしい箇所は、こう述べています。「主は人類の歴史の目的であり、歴史と文明のもろもろの願望が収斂する焦点であり、人類の中心、すべての心の喜び、すべてのあこがれの成就である。」

(略)

キリストが中心であるという考えに照らされながら、『現代世界憲章』は、現代の人間の置かれた状況、その召命と尊厳、また、その生活のさまざまな次元を考察しています。すなわち、家庭、文化、経済、政治、そして国際共同体です。人間、それもすべての人が、その召命を完全に実現することができるように、キリストを告げ知らせ、キリストをあかしすること――これが、昨日も、今日も、常に変わることのない教会の使命です。

神が特別なしかたで王である御子と結びつけたかたである、おとめマリアによって、わたしたちが、御子がわたしたちの生涯を導く主であることを知り、キリストの愛と正義と平和の国の到来のために、忠実に協力することができますように。

ベネディクト16世名誉教皇様はルカ福音書の大天使ガブリエルによる聖母マリアへの受胎告知のことばを踏まえて、救い主であるイエズス・キリストが天の父である神によって「王」と呼ばれることを指摘します。そして、キリストの弟子として生きるカトリック信者たちは、キリストに結ばれて永遠の命に至る道を歩み抜くことが出来ることを教えておられます。

【ルカ福音書1章30節-33節】(教皇様は32-33節を挙げています。)

1・30 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。1・31 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。1・32 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 1・33 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」

お告げの祈りの中でベネディクト16世名誉教皇様が示した教えの中で注目すべき点は、キリストの持っている「天と地の一切の権能」は愛に由来するものだ、という点です。

私たちは「王であるキリスト」をたたえ、信仰宣言(ニケア・コンスタンチノープル信条)の中で次のように唱えています。

ニケア・コンスタンチノープル信条

「聖書にあるとおり三日目に復活し、天に昇り、父の右の座についておられます。主は、生者と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます。その国は終わることがありません。」

復活されたイエズス・キリストは天の玉座に座しておられ、神によって創造された生命ある全ての被造物を愛によって満たし、神の国の完成の日まで守り抜き、「神の国」は終わることが無いことを保証してくださっています。イエズス・キリストによって守られ、導かれている安心感を心に抱くことが出来るとき、私たちは不安や恐れから解放されて人生のどの段階でも前向きな気持ちになることが出来ると思います。

カンペンハウド神父様は94歳になった今も、キリストへの憧れをいつも胸に抱きながら「キリストの愛と正義と平和の国の到来」のために「熱意」をもって王であるキリストの足跡をたどりながら祈り、福音宣教にあたっています。

私たちも、それぞれの年齢と生活する環境の中で、自分の信仰の「熱意」を燃え立たせ、王であるキリストの足跡をたどりながら私たちの生活するこの世界が、天上のエルサレム、王であるキリストの玉座のある「神の国」の特徴である「愛と正義と平和」に満ちたものとなるように祈りのうちに心を合わせて歩みを前へ前へと進めてまいりましょう。

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