歴史 Historia

末吉町教会の歴史(聖母の汚れなきみ心に捧げられた教会)(日本のカトリック教会の歴史)

フランシスコ・ザビエルは1549年(天文18年)8月15日に現在の鹿児島市祇園之洲町に来着した。この日はカトリックの聖母被昇天の祝日にあたるため、ザビエルは日本を聖母マリアに捧げた。

パリ外国宣教会テオドール・アウグスト・フォルカード神父1844年5月1日に、日本を聖母の汚れなきみ心に奉献
西暦 和暦
1872 明治5年 聖心教会天主堂(山下町 ) よりパリ外国宣教会 司祭が巡回し日本人への布教に尽力。(若葉町巡回教会)現末吉町教会の礎となる。
1873 明治6年 「キリシタン禁制の高札」が撤去される。
1880 明治13年 テストヴィド師が浅間下に民家を借り「布教所開所」
1881 明治14年 PA ゲナン神父、メラン神父が布教活動(浅間下布教所)、信徒数約60名。
1887 明治20年 布教所 野毛2丁目に移転。ルマシャール神父、Pムガブル神父 布教
1894 明治27年 横浜若葉町に「聖ミカエル教会」建設1階は明道小学校、2階は布教所
サンモール修道会スール・マルチド、山上カク等によって明道小学校生徒数は100名に達した。
ムガブル師は布教所に定住、日本人のために布教に専念、後に東京教区大司教となる。
1895 明治28年 主任司祭 P・Aギオン師
1898 明治31年 主任司祭 A・クレメンス師
1903 明治36年
主任司祭 エドワルド・パピノ師
1904 明治37年 横浜若葉町教会、聖堂を献堂、信徒数100名
1910 明治43年 若葉町教会聖堂火災の類焼で焼失
主任司祭 ジョン。シャパニ師
1911
明治44年 聖堂再建立
1914 大正3年 主任司祭J・Bスーピッテ師
1919 大正8年 主任司祭 E・カロワン師
1923 大正12年 関東大震災で教会施設が倒壊。
1929 昭和4年 ヨーロッパ、アメリカ、当教会の信徒たちの浄財で聖堂を再建、竣工。
1930 昭和5年 横浜若葉町教会再建祝別
教会付設として幼稚園「天使園」創設
教会邦人信徒数767名となった。
1938 昭和13年 主任司祭 エドワルド・モジャール師
1938 昭和13年 保土ヶ谷カトリック教会が当教会から誕生。
1945 昭和20年 横浜大空襲で教会施設焼失。
1949 昭和24年 主任司祭 宮下禮造師
末吉町に教会建設敷地を取得
仮聖堂建設
1952 昭和27年 聖堂を移転して仮聖堂を建立(現在の場所)
宗教法人「末吉町カトリック教会」設立認証
1957 昭和32年 小教区「末吉町教会」聖堂を建設、保護の聖人「聖母の汚れなきみ心」
を奉献
1957 昭和32年 磯子カトリック教会が当教会から誕生。
1960 昭和35年 主任司祭 浜口藤義師
1968 昭和43年 主任司祭 岩永尚志師
1973 昭和48年 港南カトリック教会が当教会から誕生。
1997 平成9年 若葉町・末吉町教会創設120周年を、濱尾文郎横浜教区長(当時)を迎えて 祝う。
2014 平成26年 聖堂献堂(昭和4年に献堂した聖堂の建て替え)