第5回「貧しい人のための世界祈願日」を迎えて

末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

 新型コロナウィルス感染症の拡大防止に神奈川県の一人一人が細心の注意を払っていく中で、10月25日からは月曜日から土曜日の午前7:00から午後6時まで聖堂の開放を再開することが出来ました。これまで、聖堂で祈りの時間を過ごすことを望んでおられる沢山の方に犠牲を強いることとなっていたこと、本当に心苦しく思っていましたが、これからは聖堂で祈りたいときにはどうぞいらしてください。

 さて、10月はロザリオの月でしたが、日曜日の11:00から、また、第1、第3日曜日の13:30からロザリオの祈りをお捧げすることが出来ました。祈りの輪が広がっていくことは本当に素晴らしいなと思います。11月に入っても、どうぞ皆様、毎日の生活の中でロザリオの祈りを捧げ続けてください。

10月10日(日)11:30ミサの結びの部分では3年ぶりに銀嶺会の祝福を、オンラインとの併用ではありましたがお授けすることが出来ました。2019年は台風で中止、2020年はコロナ禍のため中止をした銀嶺会(75歳以上の方の敬老の祝福式と食事会、教会学校等の演目の披露)ですが、今年は食事会を割愛し、また、これまで介護タクシーを教会で手配して来て頂いていた皆様についてはご自宅でYouTubeを通してではありますが、自力で聖堂に来られた方も含めて、人生の大先輩の皆様方お一人お一人の上に神さまからの祝福が豊かに注がれるように末吉町教会の皆で心を合わせてお祈り出来ました。また、教会学校リーダーからの歌のプレゼントもすることが出来ました。

10月30日(土)には、来たる11月21日(日)王であるキリストの祭日に行われる初聖体式に向けて、「拡大初聖体クラス」を15:00から18:50まで実施しました。今年は、日本、中国、フィリピン、ベトナムの各共同体から計10名が初聖体式を迎えます。30日には、洗礼の意味、聖堂の祭壇やご聖櫃、聖遺物についての講話の後、初聖体を迎える子どもたちと保護者のゆるしの秘跡を行いました。保護者のゆるしの秘跡を待つ間、子どもたちはレクリエーション・ゲームを行い、その後、聖堂で「聖母の土曜日」の式文でミサを捧げ、初聖体式を相応しく迎えられるように聖母マリアの取次を願って祈りを捧げました。10名の子どもたちのためにどうぞ皆様、お祈りください。また、10月31日(日)の11:30ミサでは1名の洗礼式を執り行いました。

 こうして、全ての世代が心を一つに合わせて信仰共同体としての歩みを深められていること、素晴らしいことだと思います。

 11月は死者の月です。特に末吉町教会では11月7日(日)(毎年、11月第1日曜日英語ミサ)の14:00の英語ミサと、11月14日(日)(毎年、11月第2日曜日日本語ミサ)の11:30のミサでは、この1年の間に帰天された方々の御芳名を祭壇に捧げ、お一人お一人の永遠の安息をお祈りします。皆様お一人お一人にとって大切なご家族やご友人の魂に神様の慈しみが豊かに注がれ、深い慰めが与えられるように今年もお祈り出来ればと願っています。また、11月14日(日)には、13:30から相沢墓地で、14:45からは上大岡墓地で今年も墓前の祈りをお捧げします。それぞれのご家族の墓地に納骨されている大切なご家族の魂に神様の恵みが豊かに注がれ、慰めが与えられるよう心を込めて今年もお祈り出来ることを嬉しく思います。

 さて、フランシスコ教皇様は2015年12月8日から2016年11月20日に開催された「いつくしみの特別聖年」の閉幕にあたり公布なさった使徒的書簡『あわれみあるかたと、あわれな女』(2016年)で教皇フランシスコは、年間第33主日を「貧しい人のための世界祈願日」とすることを発表されました。この祈願日は、ご自分を小さい者や貧しい者と等しい者とみなされたキリストに倣い、わたしたちも、貧しい人、弱い立場にある人に寄り添い、奉仕することを決意し、不平等や不正義のない世界の実現に向けて、具体的なわざを通して神のいつくしみのあかし人となれるよう、祈り求めていく日とされています。今年は第5回目を迎えましたが、「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいる」(マルコ14・7というテーマで教皇メッセージが発表されました。このメッセージの中から特に以下の箇所を皆様と味わいたいと思います。

【第5回 貧しい人のための世界祈願日 教皇メッセージ】

2項b、cイエスが明かしてくださる神のみ顔は、実は、貧しい人に向けておられる御父のみ顔、貧しい人に寄り添う御父のみ顔なのです。イエスのすべてのわざが、貧困は運命によるものではなく、わたしたちの中にイエスがおられることの具体的なしるしだということを示しています。わたしたちが望む時に望む場所でイエスを見いだすのではなく、貧しい人の生活の中に、彼らの苦しみや困窮の中に、彼らが強いられるしばしば非人間的な境遇の中にイエスを認めるのです。何度も申し上げていますが、貧しい人こそ真の福音宣教者なのです。彼らは最初に、福音を受け、主とそのみ国の幸いを分かち合うよう招かれている人々だからです(マタイ5・3参照)。

 いかなる境遇でも、またいかなる場所にいても、貧しい人は、わたしたちを福音化してくれます。なぜなら彼らによってわたしたちは、御父の真の素顔に、つねに新しいかたちで気づけるようになるからです。「貧しい人は多くのことを教えてくれるのです。彼らは「信仰の感覚(sensus fidei)」にあずかるのに加え、自分自身の苦しみをもってキリストの苦しみを知っています。わたしたちは皆、彼らから福音化されなければなりません。新しい福音宣教とは、彼らの生活がもっている救いをもたらす力を認め、彼らを教会の歩みの中心に置くようにとの招きです。彼らのうちにキリストを見いだし、その代弁者となり、さらに彼らの友となって、耳を傾け理解し、彼らを通して神が伝えようと望んでおられる不思議な知恵を受け取るよう招かれているのです。わたしたちのかかわりは、促進と支援の行動や計画にとどまるものではありません。聖霊が引き起こしているのは、活動への過剰な傾倒ではなく、まず何よりも『ある意味で自分と一体とみなし』ている他者に目を向けることです。愛のまなざしは、人を本当の意味で心配することへの最初の一歩です。そこからその人の幸福を実際に求めるようになるのです」(教皇フランシスコ使徒的勧告『福音の喜び』198-199)。

 この2項では、フランシスコ教皇様は「信仰の感覚」を通して自分の苦しみをキリストの苦しみと重ね合わせている困難な状況の中にある一人一人のことを「真の福音宣教者」と呼び、このような人々との出会いの中で、カトリック信者一人一人が福音化されることで、「人を本当の意味で心配」し始めることが出来ること、また、相手の「幸福を実際に求めるようになる」ことが出来ることを教えてくださっています。

3項:イエスは貧しい人のそばにおられるだけでなく、運命そのものを彼らとともになさいます。このことは、いつの時代であれ、その弟子たちにとって重要な教えです。「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいる」というイエスのことばも、それを示しています。わたしたちの間に彼らはつねに存在していますが、そのことを無関心につながる慣れにしてはならず、むしろ、人任せではいけない人生を分かち合うこと、その呼びかけとすべきです。貧しい人は共同体にとって「部外者」ではなく、ともに苦しみを担うべき兄弟姉妹であり、彼らの苦労と疎外感を和らげることで失われた彼らの尊厳は回復され、欠かすことのできない社会包摂が確保されるのです。しかし、慈善行為というものは支援者と受益者を前提としていますが、分かち合うことからは兄弟愛が生まれることは、ご存じのとおりです。施しは散発的なもの、他方、分かち合いは永続的なものです。前者には、施す側を気持ちよくさせ、受け取る側の自尊心を傷つける危険がありますが、後者は、連帯感を強め、正義を実現するために必要な前提です。つまり信者たちは、イエスにじかに会いたい、自らの手で触れたいと思ったときに、どこへ行けばいいかを知っているのです。貧しい人々はキリストの秘跡であり、彼らはイエスの姿を表し、彼を指し示しているからです。

 貧しい人と分かち合うことを、人生の事業とした聖人たちの模範がいくつもあります。なかでもわたしは、救ハンセン病の使徒、ダミアン・デ・ブーステル神父に思いを馳せます。ダミアン神父は、ハンセン病患者と生き、彼らと死を迎えようと、患者しか入れないゲットーとなっていたモロカイ島に渡るという召し出しに、寛大な心をもってこたえました。病に冒されて追いやられ、どん底に突き落とされたそのあわれな人々の暮らしを、生活という名にふさわしいものにしようと、額に汗し、何でもしました。危険について考えもせず自ら進んで医師となり看護師となり、当時「死の集落」と呼ばれた島に愛の光をもたらしたのです。ハンセン病はダミアン神父にも襲いかかりますが、これは彼がいのちをささげた兄弟姉妹と、すべてを分かち合ったしるしでした。彼のあかしは、新型コロナウイルスのパンデミックに特徴づけられる今日に、実にかなったものです。人目につくことはなくとも、何らかの具体的な分かち合いをもって、もっとも貧しい人のために尽くす多くの人の心には、確かに神の恵みが働いているのです。

 この3項ではフランシスコ教皇様は、貧しい人について兄弟姉妹として迎えることの重要性を説き、そして、「分かち合うことからは兄弟愛が生まれること」に気づくことの重要性を教えてくださっています。そのうえで、「貧しい人々はキリストの秘跡であり、彼らはイエスの姿を表し、彼を指し示している」とまでも断言しておられます。そして、1800年にフランスで創立され、現在は世界30か国で宣教活動を行っており、日本では1949年以来、茨城県と山形県でも司牧している「イエズス・マリアの聖心会」(Congregation of the Sacred Hearts of Jesus and Mary)の会員の聖ダミアン神父様によるハワイのモロカイ島での命がけの兄弟愛の実践について触れています。なお、日本初、かつ民間のハンセン病治療院である静岡県御殿場市にある神山復生(こうやまふくせい)病院を1889年(明治22年)に設立したジェルマン・レジェ・テストウィド神父様(パリ外国宣教会)は、聖ダミアン神父様から治療薬の斡旋等を受けたこともあったそうです。こうして、苦しみのうちにある人々に寄り添っていく人には神の恵みが働いていることに気付くよう、フランシスコ教皇様は私たちに呼びかけておられます。

7項:こうした理由から、貧困に対して、これまでとは異なるアプローチが必要とされています。それは、政府や国際機関が、今後数十年にわたって世界全体に決定的な影響を及ぼす新しい形態の貧困に対抗しうる、長期的展望を備えた社会モデルをもって取り組むべき課題です。貧しい人が、その状況は自ら招いたものであるかのように疎外されてしまうと、民主主義の理念そのものが危うくなり、あらゆる社会政策が破綻してしまいます。わたしたちは、貧しい人を前にして彼らに采配を振るう資格がほとんどないということを、心から謙虚に認めなければなりません。わたしたちは彼らについて理屈で論じています。統計にとどまったり、ドキュメンタリーにして感動させようと考えたりしています。ですが貧困は、創造的な計画を生み出すはずです。各人固有の能力をもって、自己実現のための実際の自由度を高めるようにする計画です。お金があれば自由が認められ、その度合いが増すという考え方は、遠ざけておくべき幻想です。貧しい人に実際に仕えることで、行動へと駆り立てられ、人類に属するこの一団を元気づけ向上させるふさわしい方法を見つけられるようになります。ほとんどつねに、名で呼ばれず、声も奪われているものの、彼らには、助けを求める救い主のみ顔が刻まれているのです。

8項a「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいる」(マルコ14・7)。これは、善を行う機会を見落とさないようにという呼びかけです。背景に、聖書にある古くからの命令が透けて見えます。「どこかの町に貧しい同胞が一人でもいるならば、その貧しい同胞に対して心をかたくなにせず、手を閉ざすことなく、彼に手を大きく開いて、必要とするものを十分に貸し与えなさい。……彼に必ず与えなさい。また与えるとき、心に未練があってはならない。このことのために、あなたの神、主はあなたの手の働きすべてを祝福してくださる。この国から貧しい者がいなくなることはないであろう」(申命記15・7-8、10-11)。同様に使徒パウロも、エルサレムの最初の共同体の貧しい人々を助けるために、自身の共同体のキリスト者に勧めています。「不承不承ではなく、強制されてでもなく」そうしなさい、「喜んで与える人を神は愛してくださるからです」(二コリント9・7)。いくばくかの施しでうしろめたさを和らげるのではなく、貧しい人々に対して無関心や不公平な態度を取る文化に対抗することが大切です。

 フランシスコ教皇様は「貧しい人のための世界祈願日」とは、「長期的展望を備えた社会モデルをもって取り組むべき課題」として貧困にこれまでとは異なったアプローチで取り組み始めることに気づく日であることを示しています。そして、困窮する一人一人を統計上の単なる数字として理解したり、逆に、ドキュメンタリーとしてただ感動を呼び起こすような理解をすることを慎重に避け、むしろ、旧約聖書と新約聖書に示されている神からの教えとして、一人一人と向き合い、善を行う機会に変えていくように呼びかけておられます。

9項b貧しい人のための世界祈願日は、今年で5回目を迎えますが、地方教会にしっかりと根づき、どこにあっても最初の要求として、貧しい人と交わるという福音化の運動へと開かれていくよう願っています。彼らから戸を叩いてもらうのを待っているわけにはいきません。わたしたちから、彼らの家へ、病院、介護施設、路上へと、目立たぬようにしている街の隅へ、避難所、受け入れ施設などへと出向き、彼らのもとを訪れることが急ぎ求められています。彼らが何を感じ、何を味わい、何を願いとして心に抱くのかを理解することが重要です。(略)

 フランシスコ教皇様の導きを末吉町教会としてもしっかりと受け止め、これからも「福音化の運動」の歩みを止めることなく祈りのうちに深めていければ素晴らしいと思います。

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