主の変容の祝日―共にいて下さるキリストの栄光―

末吉町教会「街の灯」2018年8月号巻頭言

末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

フランシスコ教皇様は7月7日、鹿児島教区のパウロ郡山健次郎司教様の引退届を受理され、後任として日本カトリック神学院の院長であるフランシスコ・ザビエル中野裕明被選司教様(67歳)を任命なさいました。鹿児島教区に新しい牧者が立てられ、豊かに福音宣教の実りを結ぶことが出来るよう、心を合わせお祈りいたしましょう。なお、私も4月から日本カトリック神学院で教会論を教えているので、面識のある中野被選司教様ですが、本当に人間味にあふれて温かい方なので、鹿児島教区の皆様にとって素晴らしい牧者が教皇様によって立てられたと思います。ちなみに、日本カトリック神学院からは、前院長の白浜司教様が広島教区長に任命され、中野被選司教様が鹿児島教区長に任命されました。後任の院長人事について、司教様方はご苦労なさるかもしれません。神学生達のために素晴らしい院長が任命されるよう、あわせてお祈りくだされば幸いです。

さて、クラレチアン宣教会元総長で現大阪カテドラル主任司祭であったホセ・アベイヤ補佐司教様(68歳)と属人区であるオプス・デイの酒井俊弘補佐司教様(58歳)の司教叙階式が大阪大司教区での前田枢機卿様の枢機卿親任報告も兼ねたミサとして7月16日(月・祝)11:00から大阪カテドラルで執り行われました。当日は、晴れ渡る空の下、30度を大きく超える気温の中、冷房のない大阪カテドラルに2000名を超える信徒、修道者の皆様、200名を超える司祭団、日本の司教団が集い、3時間近くに及ぶ司教叙階式ミサ、前田枢機卿様の枢機卿親任報告ミサで思いを一つにして祈りを捧げることが出来ました。前田枢機卿様は二人の補佐司教様を迎えて、本当に嬉しそうでした。特に、アベイヤ司教様は日本語、英語、スペイン語で挨拶をなさり、それぞれの言語話者の共同体は大きな喜びを表明していました。また、酒井司教様もとても人情味あふれる挨拶をなさっておられ、大阪カテドラルの中にキリストにおける一致の雰囲気が満ちていました。

司教叙階式ミサの後、7月16日から17日にかけて開催されたAOS(船員司牧)全国研修会が開催されるカトリック神戸中央教会に移動しました。当日は、酷暑の影響でJRの線路にゆがみが発生して、電車が運休したり、遅延したりするハプニングもありましたが、参加者は無事に会場に集合して研修会を始めることが出来ました。船員司牧の研修会は持ち回りで全国の港で開催されますが、今回は聖公会のポール・トルハースト司祭がご自身のこれまでのイギリスや日本各地での船員司牧(聖公会の船員司牧はMTS, Mission to Seafarersと呼ばれています。)の体験についてご紹介くださいました。その中で印象に残ったのが「キリストのわざを行う」という使命感でした。私たちが他の人と関わる時、何か大きなことをしなくても、相手のことを思って何かをするとき、そこにキリストが共におられるのだ、ということを強調なさっていましたが、このような姿勢は、全てのキリスト者にとって、どんなときにも胸に刻んで毎日の生活を送ることが出来るならば、素晴らしい実りを結ぶことと思います。

8月6日には「主の変容」の祝日をお祝いします。末吉町教会では月曜日ですが聖堂で10:00からミサをお捧げします。この「主の変容」の祝日は、読書課の説明では次のように記されています。

「この祝日は、東方教会においては五世紀頃から祝われていた。主の変容が受難の四十日前に起こったというある伝承にもとづいて、九月十四日の十字架称賛の祝日の四十日前にあたるきょう祝われるようになった。西方教会に広まったのは十一世紀になってからで、一四五七年にカリスト三世教皇によってローマ教会暦に加えられた。主の変容は、受難を通して神の栄光を受けるキリストの姿を表すことによって、キリストが担われる十字架に弟子たちがつまずかないように、彼らの信仰を固くする出来事であった。」

どんなときにも、どんな困難が待ち受けていても、イエズス・キリストがいつも共にいて下さることを心に刻むことが出来るように、主はタボル山で天の栄光のお姿を先取りしてお示しになりました。マタイ福音書では次のように記されています。

【マタイによる福音書171節~8節】

17・1 六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。17・2 イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。 17・3 見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。 17・4 ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」17・5 ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。 17・6 弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。 17・7 イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」17・8 彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。

天の御父がイエズス・キリストについて、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」と仰せになったからこそ、私たちはいつもキリストの望みに耳を傾け、「キリストのわざ」をキリストと共に行うことが出来るようになります。

シナイのアナスタジオ司教は主の変容のお祝いにあたって次のような説教を残しています。

「わたしたちがここにいるのは、すばらしいこと」(シナイのアナスタジオ司教)

イエスはタボル山で、弟子たちにこの秘義を現されました。彼らとともに生活しながら、み国について、また、栄光のうちに再び来られることについて話してくださってからのことです。み国について話されたことについて、弟子たちが十分な確信をもっていないのではないかと思われたイエスは、彼らに心の奥底での確信をもたせるために、そして、現在のことを見せることによって未来のことへの信仰に導くために、タボル山で天の国の予型として、神の顕現を不思議なかたちで現されました。イエスは次のように言われたのではないでしょうか。「はっきり言っておく。待ちくたびれて不信仰が生じないために、人の子がその父の栄光を帯びて来るのを見るまでは決して死なない者が、今あなたたちの中にいる。」

そして、福音記者は、キリストに意志を実行する力があることを表そうとして、続けて言います。「六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は雪のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。」

きょうの祭日に思い起こされる奇跡はこれです。山の上で、今わたしたちの救いのために成し遂げられた秘儀はこれです。同じように、きょうわたしたちを呼び集めるのはキリストの死であり、キリストの祝祭です。そこで、イエスによって弟子の中から選び出されたあの三人と一緒に、神聖で名状しがたいこれらの秘義の最も深いところに入ることができるように、上のほう、山の上からしきりに呼ぶ神の神聖な声を聞きましょう。あえて言います。わたしたちはイエスのように、あの上のほうへ急がねばなりません。ここ天におられるイエスは、わたしたちの指導者であり、先達者です。わたしたちも、彼に従って霊的なまなざしをもつことによって輝きましょう。いわば、霊の輪郭において一新され、イエスの姿に似たものとされ、イエスのように絶え間なく変容させられ、神の本性に参与させられ、上なるものへと整えられましょう。

熱心に、喜びをもって走り寄りましょう。そして、モーセやエリヤ、あるいはヤコブやヨハネのように雲の中へと入りましょう。ペトロのように、神的な眺めと現れに心を奪われ、主の麗しい変容によって変容させられ、世から取り上げられ、地上から引き抜かれてしまいましょう。肉を捨てて被造界を去り、創造主に向きを変えましょう。ペトロは我を忘れて、この創造主に申し上げたのです。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。」

ペトロよ、実にここにイエスとともにいて、しかも永久にそのようにとどまるのは、すばらしいことです。神とともにいて、神に似たものとなり、光のうちにいることほど喜ばしいこと、高貴なことがほかにあるでしょうか。確かにわたしたちのうちに神がおり、わたしたちが神の姿へと変容させられているときに、喜びをもって、「わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです」と叫びましょう。ここではすべてが明るく、喜びと幸せと楽しみがあり、ここにいれば、心のうちは安らかで澄んでいて快いのです。そして、神〔であるキリスト〕を見つめるのです。ここではキリストが父とともにわたしたちと一緒に住み、「きょう、救いがこの家を訪れた」と言って到来なさるのです。ここにはキリストとともに永遠の富の多くの宝があって、蓄えられています。ここには、あたかも鏡に映すかのように、未来の世の初物と映像が描き出されるのです。

暑さの中でも、私たち一人一人がキリストと共に聖なる存在へと変容させていただき、関わりをもつ人々に喜びと幸せをもたらすことの出来る8月を歩むことが出来ますように。

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