6月はイエスの聖心の月―前田枢機卿様の親任式も

末吉町教会「街の灯」2018年6月号巻頭言

6月はイエスの聖心の月―前田枢機卿様の親任式も

末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

5月20日(日)にフランシスコ教皇聖下は「アレルヤの祈り」の際に14名の新しい枢機卿様を親任することを発表されました。その中には大阪大司教区のトマス・アクィナス前田万葉大司教様のお名前もありました。これまで、枢機卿団の人数は213人、そのうち、80歳未満でコンクラーベでの教皇選挙権を持つ枢機卿は115人でしたが、今回の任命で80歳未満の方が11名、80歳以上の方が3名新たに枢機卿団に加わることになります。

ちなみに、日本の枢機卿としては、1960年に親任された土井辰雄枢機卿猊下(東京大司教)、1973年に親任された田口芳五郎枢機卿猊下(大阪大司教)、1979年に親任された里脇浅次郎枢機卿猊下(長崎大司教)、1994年に親任された白柳誠一枢機卿猊下(東京大司教)がおられ、日本人としては聖座の教皇庁難民移住移動者評議会議長であり2003年に親任された濱尾文郎枢機卿猊下(横浜名誉司教)がおられるので、トマス・アクィナス前田万葉枢機卿猊下は日本人としては6人目の枢機卿となります。

なお、枢機卿親任式は6月29日のコンシストリウム(枢機卿会議)で行われます。今回は、2017年12月16日に東京大司教に着座されたタルチジオ菊地功大司教様の、フランシスコ教皇様からの管区大司教として受けるパリウムの親授式も同じ日にバチカンで行われるとのことで、日本の教会にとっては、とても喜ばしい聖ペトロ、聖パウロ使徒の祭日になりそうです。使徒の土台の上に教会が建てられたことを象徴する素晴らしいお祝い日になると良いですね。

  さて、6月はカトリック教会では伝統的にイエズスの聖心の月とされてきました。この「聖心」は「みこころ」とも「せいしん」とも発音されますが、描く場合はこの御絵にあるように、イエズス・キリストの胸に光を放っている心臓が特徴となります。キリスト教徒が多い地域の言葉、例えば英語では「心」も「心臓」も同じ単語である”Heart”(ハート)で表すので、右の絵を見たとき、イエズス・キリストの「心臓」の絵を見るとき、同時に、イエズス・キリストの聖なる「心」のことも表していることを語感から受け取ることが出来ます。ちなみに、ラテン語では“Cor Jesu Sacratissimum”(直訳すると「至聖なるイエズスのみ心」)と書きます。

   左の絵は、「イエスの聖心(みこころ)」をもっと直接的に描いている絵ですが、・炎・十字架・心臓・いばらの冠・傷口が描かれています。

これは、「罪に傷つけられた心(心臓)」と、十字架の上で切り裂かれた心臓(心)とが重ね合わされて表現されており、「にもかかわらず心(心臓)から燃え立つキリストの愛」を表現しています。

イエズスの聖心は、聖書のどの場面から来ているのでしょうか。直接的には以下のヨハネ福音書の言葉に現れています。

19:30イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。19:31その日は準備の日で、翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。19:32そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。19:33イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。19:34しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。

キリストの脇腹を刺し貫いた槍はイエズスの聖心をも刺し貫き、そこから教会に命を与える聖体の秘跡(キリストの御体と御血)を象徴する聖なる血が流れ出て、罪のゆるしと永遠の命をもたらす洗礼の秘跡を象徴する水とが流れ出ます。つまり、イエズスの聖心からあふれ出るキリストの愛によって教会は創立されたのだと理解されるのです。

それでは、命を与えるほどに人々を愛された十字架上のイエズス・キリストは、聖心を貫かれる直前にはどのような様子だったのでしょうか。ルカ福音書には次のように記されています。

23:26人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。23:27民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。23:28イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。23:29人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。23:30そのとき、人々は山に向かっては、/『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、/丘に向かっては、/『我々を覆ってくれ』と言い始める。23:31『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」23:32ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。23:33「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。23:34〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。23:35民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」23:36兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、23:37言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」23:38イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。23:39十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」

23:40すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。23:41我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」23:42そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。23:43するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

23:44既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。23:45太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。23:46イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。23:47百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。23:48見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。23:49イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。

イエズス・キリストは十字架に磔刑にされた極限の拷問の苦痛の最中にも、自ら犯した罪を心から痛悔して神の憐れみを乞い求め、天のみ国での永遠の安息を願う人に対して「普遍的救済意志」ともいうべき神のいつくしみをイエズス・キリストははっきりとお示しになりました。ここに、イエズスの聖心と神のいつくしみ(misericordia Dei・神のあわれみ)の結び付きが示されていることが分かります。

イエズス・キリストは十字架に磔刑にされてなお、全ての人を助けたい、そして、どんなに悪い人であっても心からの痛悔をするならば救いを与えたい、と願っていることが本当によく表されています。言い換えるならば、イエズス・キリストはご自分の命を与えるほどの私たち一人一人への深い愛によって、みんなを本当に幸せにしたいと願っておられるのだ、ということです。

先ほどの絵で描かれたイエズスの聖心から溢れ出る炎は、イエズス・キリストの全人類への惜しみない愛を象徴しています。こうしてイエズス・キリストから私たちひとりひとりへと注がれる愛は、私たちの心に満ちあふれ、他の人への思いやりの心、優しさ、勇気、悲しんでいる人を慰める力、喜んでいる人と一緒に喜ぶことのできる素直さを育んでいきます。

カトリック教会では毎月初めの金曜日をイエズスの聖心に捧げ、9か月連続で初金のミサに与る時、以下の約束が与えられています。なお、この約束は1675年に聖マリア・アラコック修道女にイエズス・キリストご自身が現れた際にお与えになった約束を教会が承認し、公布し、免償を付与したものです。

御約束(Imprimatur=教会認可)

1.私は現世において、彼らの生活の状態に必要な聖寵を与えるであろう。

2.私は彼らの家族の中に平和を確立するであろう。

3.私は彼らの全ての苦しみの中で慰めるであろう。

4.私は現世において、殊に臨終において、確かなる依り所となるであろう。

5.私は彼らの全ての事業において祝福を注ぐであろう。

6.罪人らはわが聖心のうちに限りなき憐れみの源を見出すであろう。

7.生ぬるき霊魂は熱心なるものとなるであろう。

8.熱心なる霊魂は、大いなる完徳に向かいて速やかに進むであろう。

9.私は聖心を表ししものを掲げ、光栄を帰し奉る家を祝福するであろう。

10.私はいとも頑ななる心を感動させる力を聖職者らに与えるであろう。

11.この信心を広める者はわが聖心に名前が記され、それが消し去られることはないであろう。

12.わが大なる憐れみの中で、9ヶ月間続けて毎月最初の金曜日に御聖体を拝領する全ての者に、臨終において、最終の痛悔の聖寵を与える。彼らは私に嫌われしまま(恩寵を失いしままで)死ぬことはなく、わが聖心は臨終の際に彼らの確かなる依り所となるであろう。

初金曜日の信心の必要条件

1.連続9回の毎月最初の金曜日(初金)に聖体拝領すること。

2.そのための必要準備(告解)などを行うこと。

3.「大いなる御約束の実り」を頂く意向、更に償いの意向をイエズスの聖心に持つこと。

私たちの共同体でも初金には8:00からミサが捧げられています。このイエズスの聖心への心からの信頼に満ちた祈りが、末吉町教会共同体全体をイエズスの聖心からあふれ出る愛で満たしていることに心を向ける6月に出来ると素晴らしいですね。

イエズスのみ心への祈り

恵みの泉である神よ▲あなたは、罪のために刺し貫かれた御子のみ心を通して、泉からあふれでる奔流(ほんりゅう)のように、わたしたちに、限りない恵みを注いでくださいます。恵みがわたしたちにとってむなしくならないよう、御手を(みて)を伸べてわたしたちの心を開き、開かれた心を恵みであふれさせてください。わたしたちは、他人に対しても心を開き、受けた恵みをすべての人とともに分かち合いたいと望みます。わたしたちが自分の欲望に負け、ふたたび頑(かたく)なに心を閉ざして愛を拒むことがないように、御子の心を心とすることができますように。御子の脇腹から流れ出た血と水とによって与えられた新約の恵みが、すべての開かれた心を通して、地の面(おもて)を新たにしますように。主キリストのみ心の愛によって。アーメン。

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