聖母マリアの汚れなきみ心へのウクライナとロシアの奉献

末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

 末吉町教会では3月2日(水)19:30から沢山の方々が参列して、英語ミサ中、中国語と日本語も織り交ぜながら灰の水曜日のミサをお捧げすることが出来ました。また、3月5日(土)には教会学校四旬節黙想会を実施し、3月6日(日)には雪の下教会助任司祭の上杉優太神父様の指導で日本語の四旬節黙想会を実施しました。この講話は末吉町教会公式チャンネルでYouTube配信していますので、ご覧になることができます。また、3月13日(日)午後から夜まで、イタリアのアッシジにあるフランシスコ会大修道院にコンヴェンツァル・フランシスコ会日本管区から派遣されているTran Van Hoai神父様の指導でベトナム共同体の四旬節黙想会を実施し、3月26日(土)には山手教会助任司祭のダリル・ディーニョ神父様の指導でフィリピン共同体の四旬節黙想会を実施しました。こうして沢山の言語で四旬節黙想会を実施することが出来たので、沢山の霊的実りをそれぞれの共同体の皆様は受け取ることが出来たことと思います。

 また、3月20日(日)には日本語ミサ中に教会学校の終業式祝福式を実施することが出来ました。子どもたちの信仰は、大人たちの信仰の模範によって深められ、強められていきます。これからも港南教会が信仰共同体として次の世代に信仰を伝えていくことが出来るように、改めて私たちの信仰生活を振り返る機会にすることも素晴らしいと思います。同じく、3月20日(日)の14:00英語ミサ中、2名の幼児洗礼式を執り行いました。こうして、赤ちゃんを末吉町教会が信仰共同体として迎えることを出来たことを心から神様に感謝しています。

横浜教区では末吉町教会も属する神奈川第3地区の山手教会出身の水上神父様が3月21日(月)に山手教会で司祭叙階を受けられ、復活祭後からは保土ヶ谷教会の小教区管理者として任命をお受けになりました。皆様、新司祭の水上神父様と同じ地区の中で信仰の旅路を共に歩んでまいりますのでどうぞよろしくお願いいたします。

 さて、フランシスコ教皇様は3月25日(金)神のお告げの祭日にあたって、バチカンのサンピエトロ大聖堂でウクライナとロシアの「聖母マリアの汚れなきみ心」への奉献式を司式なさいました。これに合わせて、全世界の司教様たちにも心を合わせて奉献を行うように呼びかけ、また、司教を通じてすべての信者にこの奉献に一致して祈るように呼びかけられました。これを受けて、末吉町教会でも、3月27日(日)の四旬節第4主日のミサの中で、ウクライナとロシアを聖母の汚れなきみ心へ荘厳に奉献いたしました。この奉献にあたり、フランシスコ教皇様は特別な式文を制定され、全世界の司教様たちにお送りになりました。この式文の中からとても印象深い個所を以下に抜粋します。

【ロシアとウクライナをマリアの汚れなきみ心に奉献する祈り】

(略)  聖なる母よ、悲惨な罪の中で、疲れと弱さの中で、悪と戦争という理解しがたい不条理の中で、神はわたしたちを見捨てることなく、愛のまなざしを注ぎ続け、わたしたちをゆるし、再び立ち上がらせようと望んでおられることを、あなたは思い出させてくださいます。神はあなたをわたしたちにお与えになり、あなたの汚れなきみ心を教会と人類のよりどころとしてくださいました。神の恵みによって、あなたはわたしたちとともにいて、歴史の最も厳しい曲がり角においてもわたしたちを優しく導いてくださいます。

 わたしたちはあなたにより頼み、あなたのみ心の扉をたたきます。あなたは、愛する子であるわたしたちをいつも見守り、回心へと招いてくださいます。この暗闇の時、わたしたちを救い、慰めに来てください。わたしたち一人ひとりに繰り返し語ってください。「あなたの母であるわたしが、ここにいないことがありましょうか」と。あなたは、わたしたちの心と時代のもつれを解くことがおできになります。わたしたちはあなたに信頼を寄せています。とくに試練の時、あなたはわたしたちの願いを軽んじることなく、助けに来てくださると確信しています。

(略)

母マリアよ、わたしたちの願いを聞き入れてください。

海の星であるマリアよ、戦争の嵐の中でわたしたちを難破させないでください。

新しい契約の櫃であるマリアよ、和解への計画と歩みを奮い立たせてください。

「天の大地」であるマリアよ、神の調和を世界にもたらしてください。

憎しみを消し、復讐をしずめ、ゆるしを教えてください。

わたしたちを戦争から解放し、核の脅威から世界を守ってください。

ロザリオの元后、祈り愛することが必要であることを呼び覚ましてください。

人類家族の元后、人々にきょうだい愛の道を示してください。

平和の元后、世界に平和をお与えください。

 わたしたちの母よ、あなたの嘆きが、わたしたちの頑な心を動かしますように。あなたがわたしたちのために流した涙が、憎しみで涸れる谷に再び花を咲かせますように。武器の音が鳴りやまない中で、あなたの祈りがわたしたちを平和に向かわせますように。あなたの母なる手が、度重なる爆撃によって苦しみ、逃げまどう人々に優しく触れますように。あなたの母なる抱擁が、家と祖国を追われた人々に慰めを与えますように。あなたの苦しむみ心が、わたしたちのあわれみの心を動かし、扉を開き、傷つき見捨てられた人々のために尽くす者となりますように。

(略)

神の母、わたしたちの母よ、あなたの汚れなきみ心に、わたしたち自身を、教会を、全人類を、とくにロシアとウクライナを厳かにゆだね、奉献いたします。わたしたちが信頼と愛を込めて唱えるこの祈りを聞き入れてください。戦争を終わらせ、世界に平和をもたらしてください。あなたのみ心からあふれ出た「はい」ということばは、歴史の扉を平和の君に開きました。あなたのみ心を通して、再び平和が訪れると信じています。あなたに全人類の未来と、人々の必要と期待、世界の苦悩と希望を奉献いたします。

 あなたを通して、神のいつくしみが地上に注がれ、平和の穏やかな鼓動がわたしたちの 日常に再び響きますように。「はい」と答えたおとめよ、聖霊はあなたの上にくだりました。わたしたちの間に神の調和を再びもたらしてください。「ほとばしる希望の泉」であるマリアよ、渇いたわたしたちの心を潤してください。人類をイエスに織り込んだマリアよ、わたしたちを、交わりを作り出す者としてください。わたしたちの道を歩まれたマリアよ、平和の道へと導いてください。アーメン。

https://www.cbcj.catholic.jp/2022/03/24/24408/

 フランシスコ教皇様はこの奉献の式文をお捧げになってから、二人の男女の子どもたちと聖母マリアの御像に白いバラでいっぱいの籠をお捧げになりました。そして、御像に献香をされ、私たちの祈りがこの香の煙と共に天高く立ち上るように祈られました。それからミトラ(司教冠)をかぶり、バクルス(司教杖)を手に取って、子供たち二人の額に十字架のしるしを刻んで祝福され、退堂なさいました。

 私たちにとって、聖母マリアの汚れなきみ心により頼んで私たち自身を、教会を、全人類を、とくにロシアとウクライナを奉献することは、「わたしたちを、交わりを作り出す者としてください」という祈りにあるように、私たち一人一人が自分の生活の中で平和のために力強く一歩を踏み出して具体的な行動を始めることと結びついています。自分の生活の中で、自分の家族と、自分の友人たちと、自分の同僚や学校の仲間たちと、自分の生活する地域社会の人々との間で平和を実らせていく努力を、聖母マリアの汚れなきみ心からあふれ出る救い主イエズス・キリストへの深い愛に助けられ、勇気づけられて始められるとき、本当の意味で、私たち自身が奉献された者としての歩みを始めることができます。

 ちなみに、「奉献」という言葉はラテン語の”Consecratio”(コンセクラツィオ)という言葉の訳語ですが、”con”は「ともに」という接頭辞で、”Secratio”は”sacrare”(サクラーレ)と言う単語から来ています。この「サクラーレ」という単語は、ある者/物を「聖である」とする、もしくは宣言する、という意味です。したがって、「奉献する」ということは、これまでの通常の状態からある者/物を取り分けて、神さまのための者/物にするという意味があります。今回の聖母マリアの汚れなき御心への奉献式を経たことで、私たち一人一人がこれまでの自分から変えられて、本当に聖なることのために、特に平和のために尽力する者として取り分けられたことを心に刻むことはとても重要なことです。

 2007年12月5日の一般謁見演説でベネディクト16世教皇様は「アクイレイアの聖クロマティウス」司教様について講話をなさいました。

https://www.cbcj.catholic.jp/2007/12/05/3892/

 この講話の中で、聖クロマティウス司教について、ベネディクト16世教皇様は次のように説明しておられます。

【教皇ベネディクト十六世の119回目の一般謁見演説 アクイレイアの聖クロマティウス】

 アクイレイアの聖クロマティウス(Chromatius Aquileiensis 407年頃没)を考察します。この司教は古代のアクイレイアの教会でその奉仕職を果たしました。アクイレイアはローマ帝国の第10属州「ヴェネティア・エト・ヒストリア(Venetia et Histria)」にあってキリスト教的生活の生き生きとした中心でした。388年、クロマティウスがアクイレイアの町の司教座に上げられたとき、この地域のキリスト教共同体はすでに福音への信仰における輝かしい歴史で満たされていました。3世紀半ばから4世紀初頭にかけて、デキウス帝(Gaius Messius Quintus Decius 在位249-251年)、ウァレリアヌス帝(Publius Licinius Valerianus 在位253-260年)、ディオクレティアヌス帝(Gaius Aurelius Valerius Diocletianus 在位284-305年)の迫害が多数の殉教者の命を奪いました。さらにアクイレイアの教会は、当時の他の多くの教会と同じように、アレイオス派の異端の脅威にさらされていました。ニケア公会議の正統教義の主唱者であり、アレイオス派によって追放されたアタナシオ(Athanasios 295頃-373年)も、一時アクイレイアに逃れていました。司教たちの指導の下に、アクイレイアのキリスト教共同体は異端の企てに立ち向かい、カトリック信仰との一致を強めました。

 この聖クロマティウス司教の生涯をベネディクト16世教皇様は次のよう描写します。

 クロマティウスはすでに家庭において、キリストを知り、愛することを学びました。ヒエロニモも最高の賛辞をもってそのことを語ります。ヒエロニモはクロマティウスの母を女預言者アンナに、二人の姉を福音のたとえ話の賢いおとめたちに、クロマティウス自身と兄弟エウセビウスを若いサムエルにたとえます(『書簡7』:Epistulae 7, PL 22, 341参照)。さらにヒエロニモはクロマティウスとエウセビウスについてこう述べます。「至福なるクロマティウスと聖なるエウセビウスは血の絆によってだけでなく、理想の形によっても兄弟でした」(『書簡8』:Epistulae 8, PL 22, 342)。

 クロマティウスは345年頃アクイレイアに生まれました。助祭、ついで司祭に叙階され、ついにはアクイレイアの教会の司牧者に選ばれました(388年)。司教アンブロジオ(Ambrosius Mediolanensis 339頃-397年)から司教叙階を受けたクロマティウスは、勇気と力をもって大きな課題に取り組みました。彼が司牧するようゆだねられたのは広大な領域だったからです。実際、アクイレイアの裁治権は現在のスイス、バイエルン、オーストリア、スロベニアからハンガリーにまで及びました。聖ヨハネ・クリゾストモ(Ioannes Chrysostomos 340/350-407年)の生涯の逸話から、クロマティウスが当時の教会でどれほど有名で尊敬されていたかを知ることができます。このコンスタンチノープルの司教が司教座から追放されたとき、皇帝の支持を得るために、彼は西方教会でもっとも重要と考えた司教に宛てて3通の手紙を書きました。1通目はローマ司教に、2通目はミラノ司教に、3通目はアクイレイアの司教、すなわちクロマティウスに宛てたものでした(『書簡155』:Epistulae 155, PG 52, 702)。クロマティウスにとっても、不安定な政治情勢によって、時代は困難なものでした。クロマティウスは、クリゾストモが死んだのと同じ年の407年、蛮族の侵入から逃れようとしているとき、追放先のグラドで死んだと思われます。

 ベネディクト16世教皇様は聖クロマティウス司教の信仰のあり方を次のように描写します。

 クロマティウスがまず何よりも努めたのは、みことばに耳を傾けることでした。それはみことばを告げ知らせることができる者となるためです。クロマティウスは教えの中でいつも神のことばから出発し、いつも神のことばに戻ります。クロマティウスはいくつかのテーマを特に好みました。まず何よりも「三位一体の神秘」です。彼は救いの歴史全体を通じて示されたこの神秘を観想しました。第二のテーマは「聖霊」です。クロマティウスは信者が教会生活における聖なる三位一体の第三の位格である聖霊の現存と働きを思い起こすように絶えず求めました。しかし聖なる司教クロマティウスが特に強調したのは「キリストの神秘」です。受肉したみことばは、真の神にして真の人です。みことばは完全な形で人性をとりました。それは人類にご自身の神性のたまものを与えるためでした。この真理が、アレイオス派を反駁するために再び主張されることにより、50年後のカルケドン公会議(451年)の定義に役立ったのです。キリストの人間本性をはっきり強調することから、クロマティウスは「おとめマリア」について語るよう導かれました。クロマティウスのマリアに関する教えは明快かつ正確です。わたしたちはクロマティウスから至聖なるおとめに関する意味深いことばを聞くことができます。マリアは「神を受け入れることのできた福音的なおとめ」です。マリアは「汚れも傷もない小羊」です。この小羊は「紫の衣をまとった小羊」を産みます(『説教23』:Sermones XXIII, 3, Scrittori dell’area santambrosiana 3/1, p. 134参照)。アクイレイアの司教クロマティウスはしばしばおとめマリアと教会を関連づけます。実際、おとめマリアと教会はともに「おとめ」にして「母」です。クロマティウスの「教会論」は何よりもマタイによる福音書の注解の中で展開されます。そこではいくつかの考えが繰り返し述べられます。教会は唯一であり、キリストの血から生まれました。教会は聖霊によって織られた尊い衣です。教会は、キリストがおとめから生まれたことを告げ知らせる場であり、兄弟愛と一致で満たされた場です。クロマティウスが特に好んだイメージは、嵐の海に浮かぶ船でした。すでにお話ししたように、クロマティウスも嵐のような時代に生きていました。聖なる司教はこう述べます。「この船が教会を表すことは間違いありません」(『マタイ福音書注解』:Tractatus LXI in Evangelium Matthaei XLII, 5, Scrittori dell’area santambrosiana3/2, p. 260)。

 聖クロマティウス司教の生涯から明らかとなるのは、どのような困難な状況の中でも、父と子と聖霊の三位一体の神への信仰を生き抜くことが希望をもたらすこと、そして、神さまから前へと進む勇気が必ず与えられることです。そして、聖クロマティウス司教の神学から明らかとなるのは、聖母マリアに依り頼むことは、「神を受け入れることのできた福音的なおとめ」の保護の下で人生の旅路を歩むことになることです。自分の人生の中で、聖母マリアの汚れなき御心に自分自身が奉献されたことを教会共同体の中で実感していくことが出来るとき、聖クロマティウス司教が説明するように、「教会は、キリストがおとめから生まれたことを告げ知らせる場であり、兄弟愛と一致で満たされた場」であるので、私たち自身がどのような嵐の中でも決して難破することのない「嵐の海に浮かぶ船」に主イエズス・キリストと共に乗船していることが良く理解できるようになるのではないでしょうか。

 もう間もなく復活祭を迎えるために、四旬節の中でも特別に重要な準備の期間である聖週間を迎え、聖なる過ぎ越しの3日間を祈りながら過ごします。主イエズス・キリストの受難の道を聖母マリアの眼差しで見つめ、共に歩みながら、平和への祈りを深めていくことによって、素晴らしい復活祭を迎えられますように。

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