カーニバルと四旬節―キリストの受難の道の記念

末吉町教会「街の灯」2019年3月号巻頭言

カーニバルと四旬節―キリストの受難の道の記念

末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

2019年は3月6日(水)の灰の水曜日から四旬節が始まります。世界中で、灰の水曜日に先立ってカーニバルが盛大に行われます。このカーニバルとカトリック教会の間には深いつながりがあります。

カーニバル(謝肉祭)と四旬節

世界中では毎年、カーニバルが盛大に開催されます。有名なところでは世界三大カーニバルとしてブラジルのリオ・デ・ジャネイロのカーニバルやドイツのケルンのカーニバル、イタリアのヴェネツィアのカーニバルがあります。毎年のカーニバルは、キリスト教の信者たちがイエズス・キリストの復活を祝う復活祭に先立って行う40日に及ぶ悔い改めの季節である「四旬節(英語では”Lent”)」の直前に行われています。

  ドイツでは、四旬節が始まる「灰の水曜日(Aschermittwoch)」に先立つ「バラの月曜日(Rosenmontag)」に色々な町で、沢山の「謝肉祭の行列(Fastnachtsumzug)」が見られます。そして、沢山の山車の上からお菓子が投げられるので、観客は抱えきれないほどのお菓子を袋一杯に集めます。ケルンのカーニバルでは、100万人の人が毎年訪れ、7kmにも及ぶ4時間続くパレードを楽しみながら、お酒を飲み、ソーセージをはじめとする肉製品を食べるので、カーニバルのパレードの後は、酔っぱらった人々が町中にあふれます。私も何度かケルンのカーニバルには行きましたが、盛大でした。

右の写真は、ケルン大聖堂でカーニバル参加者のためのミサを司式した際のケルン大司教、ヴェルキ枢機卿猊下と子供のカーニバル参加者です。

 ヴェネツィアのカーニバルは、2019年は2月17日に始まり、3月5日(火)まで続きますが、仮面をかぶって仮想をする伝統が11世紀からあるそうです。左の写真はヴェネツィアのカーニバルで仮装した人々です。

  リオ・デ・ジャネイロのカーニバルは1723年に始まった記録が残っており、現代では毎日200万人の人が観客としてサンバチームの踊りを楽しむそうです。

カーニバルは、ヨーロッパで昔から使われてきたラテン語という言葉の、“Carne levare!“ (お肉よ、お別れじゃ!)という言葉から生まれました。

ドイツ語のカーニバルの別名のFastnacht(ファストナハット)という単語は、「断食の前の夜」という意味です。ちなみに、英語で朝食を意味するbreakfast(ブレックファースト)も、「断食を破る」という意味で、一日で最初の食事を意味しています。

カーニバルは断食と結びついていますが、これは、キリスト教の祈りのカレンダーである「典礼暦」の「四旬節」(Lent)と関わりがあります。

灰の水曜日-四旬節の始まりの日

  カーニバルが終わった次の水曜日、2019年では3月6日に、全世界で13億人のカトリック信者は「灰の水曜日」を過ごします。

「灰の水曜日」のミサ聖祭では、聖職者(教皇、司教、神父)から自分の額に「灰のしるし」を皆が受けます。

左の写真は、ローマのサンピエトロ大聖堂でフランシスコ教皇聖下がミサを捧げ、「灰のしるし」をしている写真です。「灰のしるし」をする時に、ミサの司式者は「悔い改めて福音を信じなさい」と言いながら、祝別された特別な灰を額に授けます。この「灰のしるし」は、神から心が離れていってしまう弱さもある私たちが、ちゃんと神に心を向ける決心を新たにするするためのしるしです。

四旬節とは

 「灰の水曜日」から「復活祭」(イースター)の前の日までの期間を、四旬節、ラテン語では”Quadragesima”(クアドラジェシマ・40の)、ドイツ語ではFastenzeit(ファステンツァイト・断食節)といいます。

四旬節の「旬」という言葉は、毎月の上旬、中旬、下旬という言い方でも使いますが、「十日間」という意味です。ですから、「四旬節」は「四十日間」という意味になります。

「復活祭(イースター)」は、キリストが世界中の人々の罪を償い、全能の父である神からのいつくしみに満ちたゆるしをもたらすために、ご自分のいのちを十字架の上で犠牲として捧げたのち、3日目に死者のうちから復活したことをお祝いしています。ですから、毎年、全世界のキリスト教信者たちは、「主の復活」(イースター)のお祝いの前に、必ず「主の受難」と呼ばれるキリストの十字架の上での犠牲と死を思い起こす期間を過ごします。この期間のことを「四旬節」と呼びます。

 四旬節は、自分のしてしまった過ちや悪いことを反省したり、するべきだったことでしなかったことを反省するための期間です。また、周りにいる人たち、家族や友人、職場の同僚、先生、地域で出会う人々に優しくしたり、困っている人がいるときには自分から進んで助けるという、善行を進んで実践する期間でもあります。

「四旬節」の間、自分の好きなおやつやお菓子、たばこやお酒等、嗜好品を我慢(断食)して、その分のお金を世界中で食べ物が無くて飢えに苦しんでいる人たちのために贈ることも素晴らしい行いです。カリタスジャパンでは毎年「四旬節愛の献金」を集め、助けを最も必要とする人々のもとへと届けています。

これらの善行は、全世界の人たちの救いのために、イエス・キリストが十字架の上で苦しんだ受難を私たちも一緒に生きるために行われます。

「四旬節」の間は、「灰の水曜日」と復活祭直前の「聖金曜日」は断食の日とされ、18歳から59歳までの健康なカトリック信者は、「大斎」として1食を抜き、他の食事は肉を控え、1食はパンと水だけ、もしくは、アジア圏ではお米と水だけの質素な食事にし、後の1食も軽くして犠牲を捧げることが「カトリック教会の5つの掟」に明記されています。また、「小斎」として、14歳以上の健康なカトリック信者は金曜日に肉食を控え、特に愛徳の業を行うことも明記されています。

ヨーロッパ諸国、特にドイツのカトリックが主流の地域では50年前までは四旬節中は、主の復活を祝う日曜日・主日と、典礼暦の祝祭日以外の日については、卵や乳製品や肉を食べない生活をしてきたので、今でも、ドイツの地方のレストラン等では、四旬節中は肉料理を提供しないところもあります。なお、鶏が生み続けた卵は、固ゆでして保存して置き、復活祭を迎えてから食べる習慣もあるので、復活祭のお祝いの際に「イースターエッグ」を食べるようになりました。

キリストの受難の道の始まり

最後の晩餐

十字架へと至る主の受難の道は、「最後の晩餐」から始まります。右の絵は、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院にある、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」の絵です。

  この「最後の晩餐」の席上で「ミサ」が制定されました。マタイ福音書には次のように記されています。

「26:26一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。『取って食べなさい。これはわたしの体である。』26:27また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。『皆、この杯から飲みなさい。26:28これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。』」

オリーブ山での祈り

イエズス・キリストと弟子たちは、最後の晩餐の後で「オリーブ山」と呼ばれる場所に行きます。そして、祈りを始めます。マタイ福音書には次のように記されています。

「26:36それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。26:37ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。26:38そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」26:39少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」26:40それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。26:41誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」26:42更に、二度目に向こうへ行って祈られた。「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」26:43再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。26:44そこで、彼らを離れ、また向こうへ行って、三度目も同じ言葉で祈られた。26:45それから、弟子たちのところに戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。時が近づいた。人の子は罪人たちの手に引き渡される。26:46立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」」

裁判

イエス・キリストは当時のローマ帝国ユダヤ属州総督であったポンティオ・ピラトのもとに引き出されました。マタイ福音書には次のように描かれています。

 「27:11さて、イエスは総督の前に立たれた。総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。27:12祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。27:13するとピラトは、「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」と言った。27:14それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った。27:15ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。27:16そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。

27:17ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」27:18人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。27:19一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました。」27:20しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。27:21そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。

27:22ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。27:23ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。27:24ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」27:25民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」27:26そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。27:27それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。27:28そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、27:29茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。27:30また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。」

ゴルゴダの丘へ

イエズス・キリストは激しい拷問と侮辱を受けたのち、十字架を担がされてゴルゴダという丘、「されこうべの場所」と呼ばれる場所まで歩かされます。そして、他に2人の盗賊とともに十字架にかけられます。

  十字架にかけられたとき、次のような会話があったことがルカ福音書には記されています。

23:39十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」23:40すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。23:41我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」23:42そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。23:43するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

こうして、イエズス・キリストは十字架の上で息を引き取り、墓に葬られました。

 

 

 

四旬節を歩む際に心に留めたいマザー・テレサのことば

 神の優しさの、生きている表現でありなさい。あなたのまなざしに神の優しさが、あなたの表情に神の優しさが、あなたのほほえみに神の優しさが、あなたの暖かいあいさつに、神の優しさが表れますように。わたしたちは皆、ほんの少しお役に立ち、そして、過ぎていく神の道具なのです。思いやりの行為の表れ方は、その行為そのものと同じように大切なことだと、私は信じています。

(マザー・テレサ日々のことば、2009年11月 女子パウロ会 「4月13日」)

私たちの四旬節の歩みが、自らの悔い改めと周囲の人々への善業で彩られ、主の復活を喜び迎える準備となるようにお互いに励まし合いながら歩めると良いですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA