末吉町教会「街の灯」2020年1月号巻頭言
末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父
新年あけましておめでとうございます。本年度もどうぞよろしくお願いいたします。
2019年12月1日の待降節第1主日から始まった新しい典礼暦年の歩みの中で、末吉町教会では11月30日(土)から12月1日(日)には教会学校待降節黙想会が開催され29名の子どもたちが寝食を共にしながら、二つの講話、ゆるしの秘跡、聖劇の練習、聖体賛美式、朝の祈り、イエズス様への待降節の決意の手紙作成、ロザリオの祈りを一緒に捧げ、主日のミサに与りました。12月1日(日)はパウロ会管区長に就任なさった澤田豊成神父様指導の大人向け待降節黙想会が行われました。また、フィリピン共同体では12月7日(土)~8日(日)には待降節黙想会がエスコラピオス会のラジュ神父様の指導で、サレジオ会横浜志願院で行われ、12月9日(月)には19:30から英語ミサでの無原罪の聖マリアの祭日のミサには200名近くが心を合わせて祈りを捧げました。そして、12月13日(金)からはクリスマスまでの9日間のノヴェナの「シンバンガビ・ミサ(Rorate Missa)」が12月23日(月)まで日曜日を除いて毎晩19:30から捧げられ、毎日100名から200名近い方が集まり心を合わせて主の降誕の準備を深めることが出来ました。なお、12月15日(日)14:00英語ミサの後でフィリピン共同体のクリスマスパーティーが行われ、沢山の人が参加して楽しい時間を過ごすことが出来ました。
12月24日(火)には19:30から教会学校の聖劇が聖堂で上演され、20:00からは日本・フィリピン・韓国・中国・ベトナム共同体合同の主の降誕(夜半)の国際ミサが420名ほどの参列のもとで捧げられました。ミサ後、中国共同体のレジオマリエ・メンバーが準備をした路上生活者へのクリスマスプレゼントをもって、中国・日本共同体から30名が集まって22:00から23:30までかけて関内駅地下、横浜スタジアム、馬車道駅地下を巡って54名の方々に手渡しました。なお、30名のうち14名は子どもたちです。ある小学校低学年の男の子は「神父様、怖いからプレゼント渡すとき、一緒に渡してね」と言ってきましたが、それを聞いていたある小学校低学年の女の子は「神父様、私は一人で渡しても全然怖くないよ。だって、みんな優しい目をしてるし、話しかけたら優しく答えてくれたよ」と言っていたことが心に残りました。神様が人間のいのちをその身に受けて私たちのうちに宿られた「受肉の神秘」を祝うクリスマスにあたって、こうして、どのような境遇にあっても神様の似姿(Imago Dei, Image of God)としての尊厳を誰もが持っていることを子供心に感じてくれたことは本当に素晴らしいことだと思います。
12月25日(水)11:30からは200名ほどが集まって主の降誕(日中)のミサをお捧げしました。なお、クリスマスは8日間にわたって祝い続けるので「クリスマス・オクターブ」と呼ばれますが、末吉町教会でもミサが捧げられました。このクリスマス・オクターブは2020年1月1日の「神の母聖マリア」の祭日で締めくくられました。この間、12月29日(日)主の降誕5日目の聖家族の祝日には14:00からベトナム語でミサが捧げられ、ミサ後、沢山の若者たちが参加してパーティーが行われました。
1月1日は深夜0:00のミサと11:30のミサをお捧げしながら沢山の方が新しい年の始まりを祈りのうちに迎えて下さったことを本当に嬉しく思います。なお、日本のカトリック教会の信者の「守るべき祝日」(必ずミサに参列して祈る義務の日)は、『カトリック新教会法典』「日本における教会法施行細則」1246条第2項「日本における守るべき祝日」では「日本における守るべき祝日は、すべての主日、主の降誕の祭日、そして神の母聖マリアの祭日である。」とされていますから、信仰実践という観点からも、本当に沢山の方が深い祈りを捧げて下さったことを嬉しく思います。ちなみに、復活祭や聖霊降臨祭やその他の大きな祭日はすべて日曜日、つまり「主日」にお祝いしますから、これらも「守るべき祝日」に含まれています。
さて、1月1日は「神の母聖マリア」をお祝いすると同時に「世界平和の日」として全世界のカトリック信者が祈りを捧げる日でした。これは、聖パウロ6世教皇様が第2バチカン公会議閉会2年後の1967年12月8日に、当時、ベトナム戦争が激化する中で1968年1月1日を「平和の日」として世界中が主の平和で満たされるように祈るよう呼びかけたことから始まりました。特に、今年の第53回「世界平和の日」には「希望の道である平和-対話、和解、エコロジカルな回心」というテーマで教皇メッセージが発表されましたが、その中ではフランシスコ教皇様の日本での体験が具体的に言及されています。
【2020年「世界平和の日」教皇メッセージ】
1. 平和――障害や試練に直面する中で歩む希望の道のり
(略) 内戦や国家間の戦争という悲惨な試練は、情け容赦のない暴力によってますます深刻化しており、人類のからだと心にいつまでも消えない傷痕を残しています。どの戦争も、人類家族の召命に刻みこまれた兄弟関係そのものを破壊する兄弟殺しにほかなりません。
戦争は、多くの場合、相手の違いを受け入れられないことから生じていることは言うまでもありません。そうした不寛容は所有欲や支配欲を助長します。それは、利己主義、傲慢、憎しみによって、人間の心の中で生まれます。憎しみが、破壊に、相手を否定的なイメージで固めることに、相手の排除や抹殺に至らせるのです。戦争は、さまざまな関係の歪み、覇権への野心、権力の濫用、他者や異なるものを障害と見なすことで生じる恐怖心によってあおられます。そしてこれらすべてが、戦争によってさらにあおられるのです。
先日の日本への司牧訪問で強調したように、逆説的ではありますが、「わたしたちの世界は、倒錯した二分法の中にあります。それは、恐怖と不信の心理から支持された偽りの安全保障を基盤とした安定と平和を、擁護し確保しようとしているからです。人と人の関係を毒し、可能なはずの対話を阻んでしまうものです。国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来のすべての人類家族が、相互依存と共同責任によって築く未来に奉仕する、連帯と協働の世界的な倫理によってのみ実現可能となります」。(略)
2. 平和――記憶と連帯と兄弟愛に基づいた、耳を傾けるという道のり
ヒバクシャ――、広島と長崎に投下された原爆の生存者は、1945年8月に起こったことの恐ろしさと、今日までの筆舌に尽くしがたい苦しみを、次世代の人々に証言することで、共同意識の炎を今もともし続けています。彼らの証言は、どのような支配欲や破壊欲を前にしても人間の良心をさらに強固にするために、犠牲者の記憶を呼び起こし守っています。「現在と将来の世代に、ここで起きた出来事の記憶を失わせてはなりません。より正義にかない、いっそう兄弟愛にあふれる将来を築くための保証であり起爆剤である記憶」をです。
ヒバクシャと同じように大勢の人が、世界中で、記憶を守るための活動を次世代の人々のために行っています。それは、同じ過ちを再び犯さないため、あるいは過去の妄想的な企てを繰り返さないためだけでなく、経験の実りである記憶が、平和に向けた現在と未来の決断の根拠と刺激となるようにするためでもあります。
記憶はさらに、希望の地平です。戦争や紛争の闇に何度覆われても、連帯のしるしをわずかでも受けたという記憶があれば、勇敢で、英雄的でさえある決断をくだすことができます。そして個人や共同体の中にまったく新しい力を生み出し、新しい希望の炎をともすことができるのです。(略)
わたしたちは、自分たちを和解させるためにご自身のいのちをささげてくださったキリストを、キリスト者としての体験を通してつねに思い起こしています(ローマ5・6-11参照)。教会は、キリスト教の価値観の伝達、道徳的な教え、さらには社会的・教育的活動を通して、正しい秩序を実現させるために全身全霊をかけてかかわり、共通善のために尽くし、平和への希望をはぐくみ続けているのです。(略)
5. 希望するだけのものをすべて、勝ち得ることができる
和解の道のりには、根気と信頼が欠かせません。平和は、望まなければ決して実現しません。
それは何よりもまず、平和の実現を信じること、そして相手も自分と同じように平和を求めていると信じることです。そうして初めて、わたしたち一人ひとりへの、神の自由で、限りのない、無償で、飽くことのない愛によって導かれることができるのです。
争いの源は、多くの場合、恐れです。ですから、わたしたちを愛してくださり、放蕩息子の父親のように待っていてくださるかた(ルカ15・11-24参照)の前では助けを必要としている子どもであるという自覚をもって、人としての恐れを乗り越えることが重要です。兄弟姉妹の間の出会いの文化は、争いの文化を打ち砕きます。それはあらゆる出会いを可能にし、その出会いを寛大な神の愛からの贈り物とします。その文化は、わたしたちが狭い視野の領域を超え出るよう導き、天におられるただ一人の御父の子らとして、普遍的な兄弟愛のもとに生きるよう、つねにわたしたちを励ましてくれます。
キリストの弟子にとってこの道のりは、洗礼を受けた者の罪のゆるしのために、主がお与えになる和解の秘跡によっても支えられています。個人と共同体を新たにする教会のこの秘跡は、「その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物を」(コロサイ1・20)ご自分と和解させたイエスを見つめ続けるよう呼びかけています。そして、隣人に対しても、神の被造物に対しても、思い、ことば、行いによるあらゆる暴力を放棄するよう求めているのです。
フランシスコ教皇様は「記憶」の大切さを強調しておられます。この「記憶」によって、たとえどんな困難の中にいるとしても、神様との絆で結ばれている体験、まわりの人から大切にされた体験があれば、そこから希望の炎が燃え立つように一人ひとりの中で働くのだ、ということです。新年の始まりに当たって、私たちも自分の生活の中でどのようなときに素晴らしい体験をしてきたかを改めて想い起し、記憶にとどめるようにすることが出来ると素晴らしいと思います。そして、この体験を信仰生活の中で中心に据えることが出来るとき、本当の意味で一人ひとりが広い視野を持って「主の平和」をもたらす者になれるのだ、ということをフランシスコ教皇様は教えておられます。
一方で、私たちの生活の中では自らの至らなさによって倫理的罪に陥ることもあります。このような時でも、いつでも神様との深い絆に立ち返ることが出来るように「和解の秘跡」である「ゆるしの秘跡」(告解)が地上を旅する教会には与えられています。今年1年を神様の光に照らされて歩んでいくとき、ぜひ「ゆるしの秘跡」を通して深く神様と出会いなおし、より高い聖性を目指して歩んでいくことが出来るようにしていただければと思います。この年末年始も、ある青年と話をしていたとき、日々の生活について話が深まっていく中で自分からその場でゆるしの秘跡を受けたいとの申し出を受けたこともありました。私たち一人ひとりが心の鎧を脱いで、勇気を出して自分自身を神様に対して開く時、私たちの心の中から言い訳や後ろめたさ、また、自分と他者との関係の中での不義理を神様によって洗い清めていただいて、清々しい気持ちで前向きに「平和の使徒」として毎日の生活を送ることが出来るようになると思います。
マザーテレサの言葉から(『マザーテレサ日々の言葉』7月5日 女子パウロ会)
行いに愛をこめましょう。わたしたちの愛の奉仕は、平和の働き以外の何ものでもありません。
一人ひとりが、より大きな愛と効果的な働きをもって、仕事や家庭、周りの人たちにかかわる日々の生活の一つひとつの行いに愛をこめましょう。
平和のうちに喜んでいらっしゃい。
神がくださるものはなんでも受け入れ、神が取り去られるものはなんでも、ほほえんで差し上げましょう。
新しく始まったこの一年を、お一人お一人が慈しみ深い神のみ前で、健やかな明るい心持ちで歩んでいくことが出来るように心から祈っています。