2月11日は第30回「世界病者の日」

末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

 2022年は2月1日に旧正月を迎え、中国では春節、ベトナムではテト、韓国ではソルラルのお祝いでした。中国共同体の皆様、ベトナム共同体の皆様、韓国共同体の皆様、新年おめでとうございます。皆様の上に神様の恵みがこの新年にあたり豊かに注がれますよう、心を込めて祈っています。

1月は9日(日)の11:30ミサ中に4名の新成人の祝福式が執り行われ、これまでの成長の歩みを見守って下さった神様に感謝を捧げるとともに、これからの大人としての一人一人の歩みの上に神様の恵みが豊かに注がれるように心を合わせてお祈りすることが出来ました。新成人の皆さん、本当におめでとうございます。また、16日(日)の14:00英語ミサではSt. Nino(サント・ニーニョ:幼子イエズスへの信心)のお祝いを盛大に捧げることが出来ました。こうして、日本にいても母国での信仰生活の中で大切にしてきた信心業を沢山のフィリピン共同体のメンバーの皆さんが大事にしている姿には、本当にイエズス・キリストへの信仰の深さを感じ、嬉しく思いました。

 一方で、新型コロナウィルス感染症の感染拡大を受け、2月の第1、第2日曜日の9:00からの中国語ミサについては、司式の井上神父様の健康を守るために、東京から来ていただくことを断念することとなりました。今後も、新型コロナウィルス感染症の感染拡大の状況が変わらない場合、皆様に我慢をお願いすること等もあるかもしれません。心苦しく思いますが、困難な状況の中でも心を合わせて神様の導きに信頼を置いてともに歩んでいければと願っています。

 先日の司祭月修で梅村司教様から発表がありましたが、私たちと同じ神奈川第3地区に属する山手教会出身のアウグスチヌス水上健次助祭様の司祭叙階が正式に決定し、3月21日(月)春分の日に13:00から山手教会で梅村司教様の司式で司祭叙階式ミサが執り行われることとなりました。コロナ禍の中でも、新司祭が横浜教区に誕生することを神様に感謝しつつ、叙階式の日まで水上助祭様のために心を合わせてお祈りいただければ幸いです。なお、司祭叙階式のミサには参列制限があり、司祭と教会委員長のみが参加することとなります。心苦しく思いますが、皆様はそれぞれの場で心を合わせて新司祭の誕生をお祝い下さい。

 さて、2月11日はルルドの聖母の任意の記念日で、世界病者の日として全世界のカトリック教会では心を一つに合わせて祈りを捧げます。末吉町教会でも病気で苦しんでいる方々のために霊的花束を捧げるために1月から皆様に祈りをお願いしています。2月13日(日)の11:30ミサで祭壇に皆様からの祈りをお捧げする予定です。

この世界病者の日は、聖ヨハネ・パウロ2世教皇様によって1993年から始められました。そして、「病者がふさわしい援助を受けられるように、また苦しんでいる人が自らの苦しみの意味を受け止めていくための必要な援助を得られるように、カトリックの医療関係者だけでなく、広く社会一般に訴えていかなければなりません。」(カトリック中央協議会ホームページより)とされています。毎年、「世界病者の日」には、教皇様は病気で苦しむ方々を慰め、彼らが必要な支援を受けられるよう医療従事者を励まし、また、病気の人のために祈り、お見舞いに行く人々のことを応援してくださいます。今年は第30回を迎えますが、フランシスコ教皇様は『「あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたもあわれみ深い者となりなさい」(ルカ6・36)愛の道にあって、苦しむ人の傍らにいる』という題で教皇メッセージを発表されました。フランシスコ教皇様のメッセージの中から以下の箇所をご一緒に味わっていきたいと思います。

【第30回世界病者の日 教皇メッセージより】

1.御父のようにあわれみ深く

 今回の第30回のテーマとして選ばれた「あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたもあわれみ深い者となりなさい」(ルカ6・36)は、まずわたしたちの視線を「あわれみ豊かな」(エフェソ2・4)神に向けさせます。いつだって子らを、たとえ子どもたちが背を向けようとも、父の愛で見守ってくださる神です。まさに、あわれみとは神の別名であり、それは偶発的に生じる感情としてではなく、神のすべてのわざの中に存在する力として、神の本質を表しています。それは強さであり、同時に優しさでもあります。だからわたしたちは、神のあわれみには父性と母性(イザヤ49・15参照)の二つの側面が内包されているのだと、驚きと感謝をもって断言できるのです。神は、父の強さと母の優しさをもってわたしたちの面倒を見ておられ、聖霊によって新しいいのちを与えようと、たえず強く願っておられるからです。

 このフランシスコ教皇様の教えは、神さまと人間の関係性を考える上でとても重要です。私たちにとって、神さまの本質が強さと優しさの二つの側面を持っていることは、神さまから受けるお世話に父の強さと母の優しさがあること、そして、神さまからあわれみを受けていることに気づくことは、どんな状況においても私たちは決して見捨てられることはないのだ、ということに気づくことでもあることが分かります。

【第30回世界病者の日 教皇メッセージより】

3.キリストの痛みを負うからだに触れる

 御父のようにあわれみ深い者となりなさいというイエスの呼びかけは、医療従事者にとって特別な意味があります。わたしが考えているのは、医師、看護師、検査技師、病者の介助や介護のスタッフ、そして苦しむ人のために貴重な時間を割いてくれる多くのボランティアのことです。親愛なる医療従事者の皆さん。愛と技能をもって病者の傍らで務めておられる皆さんの奉仕は、職業という枠を超え、使命となるのです。キリストの痛みを負ったからだに触れる皆さんの手は、御父のあわれみ深いみ手のしるしとなるはずです。皆さんの職業の特別な尊さと、そしてそれに伴う責任とを、どうか心に留めておいてください。

 医学の、とくに近年の進歩の恵みを、主に感謝しましょう。新たな技術によって数々の治療法が開発され、患者に大きな利益をもたらしています。古いものから新しいものまで、さまざまな病気の撲滅に貴重な貢献をなすべく、研究が続けられています。リハビリ医療は、その知見と技能を著しく発展させてきました。だからといって忘れてはならないのは、患者それぞれが、その尊厳と弱さを含めて唯一無二の存在であることです。患者はつねにその人の病気よりも大切で、だからこそ、どのような治療法も、患者の話に、これまでのこと、懸念、不安に、耳を傾けないままなされてはなりません。回復の見込みがない場合でも、ケアはつねに可能であり、なぐさめを与えることはつねに可能であり、病状にではなくその人に関心を示しているという寄り添いを感じてもらうことはつねに可能なのです。ですから医療従事者には、専門課程の間に、患者に傾聴するすべと、患者とのかかわり方を身に着けることを期待しています。

 このフランシスコ教皇様の教えを考えるときに重要なのは「医療従事者」の範疇について、資格を有する方々だけに限定せずに病者のために献身的に時間を割くボランティアまで含めている点です。年末年始には6名の方の葬儀ミサを捧げました。また、2月5日(土)にも葬儀ミサを捧げました。こうして、地上での人生の完成の時を迎える方々と向き合うとき、フランシスコ教皇様が指摘されたように、確かに数えきれないほど多くの方々の善意が織り成されていって、安心して地上での旅路を終えて神の御許への旅立ちの準備をしていくことが出来ます。この点について、フランシスコ教皇様は次のように教えています。

【第30回世界病者の日 教皇メッセージより】

5.司牧におけるあわれみ――いること、近しくあること

 ここ30年で医療司牧(パストラルケア)は、必須の奉仕としての認知度が高まったと思います。貧しい人――病者は健康状態において貧しい人です――が苦しむもっともひどい差別が霊的配慮の欠如なら、わたしたちは彼らに対し、神の寄り添い、神の祝福、神のことば、秘跡の執行、信仰における成長と成熟の道への促しを差し出さずにいてはなりません。これについて、皆さんに覚えていてほしいことがあります。病者に寄り添うことや、彼らに対するパストラルケアは、専門的にそれに従事する一部の牧者だけの務めではないのです。病者を訪問することは、キリストからのすべての弟子に対する要請です。自宅で訪問を待つ病者や高齢者は、どれほど多いことか。なぐさめという奉仕の務めは、「わたしが……病気のときに見舞(ってくれた)」(マタイ25・36)というイエスのことばを心に留めながら行う、洗礼を受けたすべての人の責務です。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん。わたしはすべての病者とその家族を、病者のいやし手、マリアの執り成しにゆだねます。この世の痛みを身に受けておられるキリストと結ばれて、意義となぐさめを見いだし、自信をもつことができますように。すべての医療従事者のために祈ります。彼らがあわれみ深い者となり、患者に対する適切なケアだけでなく、兄弟愛からの寄り添いに努めることができますように。

 2018年2月号の「街ノ灯」巻頭言で以下のような文章を書きました。

病者への司牧訪問、病者の聖体拝領式、病者の塗油の秘跡は、カトリック教会がキリストの使命を果たす素晴らしい機会ですので、これまで以上に自分の時間を割いていこうと考えています。残念ながら、2016年4月に末吉町教会に赴任してきたときは、教会としては「病者訪問チーム」は解散してしまっていました。今年の目標は、「病者訪問チーム」を再建することです。皆様の中で、特にこの分野での教会の司牧に協力してくださる方が多く現れてくださることを心から願っています。

あれから4年が経ちますが、末吉町教会の福祉委員会の中に「ミゼリコルディアの会」を無事に設立することが出来ましたし、教皇様が訪問を待っているのだ、と強調している「訪問を待つ病者や高齢」の皆様をミゼリコルディアの会のメンバーの皆様とご一緒に頻繁に訪問し、病者の聖体拝領式や病者の塗油の秘跡、家庭ミサを捧げてきました。3年目に入ったコロナ禍の中でも、感染者数が比較的落ち着いている時期には、ご家族とご本人の意向を最優先にして訪問を希望なさるかどうかを確認したうえで、細心の注意を払って訪問を継続出来ています。こうして、末吉町教会が信仰共同体としてコロナ禍の中でもイエズス・キリストへの愛ゆえに、フランシスコ教皇様が教えてくださったように「なぐさめという奉仕の務めは、『わたしが……病気のときに見舞(ってくれた)』(マタイ25・36)というイエスのことばを心に留めながら行う、洗礼を受けたすべての人の責務」を十分に果たすことが出来ていることは、本当に大きな慰めのしるしになっています。

 まだまだ収束の兆しが見えないコロナ禍の中でも、信仰共同体として末吉町教会が祈りと行いにおいて神さまのいつくしみと愛を沢山の人にもたらすことが出来ていることを神に感謝しつつ、1日も早い全世界でのコロナ禍の収束を心を込めてご一緒に祈りながら歩む2月を過ごせれば、と心から願っています。

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