2月11日は「世界病者の日」

末吉町教会主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

2018年も1月1日に守るべき祝日である「神の母聖マリア」の祭日に0:00ミサと11:30ミサで世界平和を多くの方々が祈りながら始まりました。1月7日には成人式の祝福と新年会が行われ、末吉町教会の信仰共同体が神様の祝福と恵みに満たされて歩んでいくことが出来ることを感じ、本当に嬉しく思いました。
1月15日には、同日付で二俣川教会主任司祭に就任なさった議政府教区の姜真求神父様が二俣川教会へ引っ越しをなさり、20日には日本語研修を主たる使命としてヴィンセンシオ宣教会のダリル・ディニョ神父様が引っ越してきました。ディニョ神父様は、かつて日本語研修で末吉町教会におられたロエド神父様と同じ宣教会のメンバーです。姜神父様の新しい歩みの上に神様の恵みが豊かに注がれるよう心からお祈りするとともに、末吉町教会にディニョ神父様を迎えて、私たちが神様からの恵みをさらに豊かに頂くことが出来ることを感謝しております。

さて、典礼暦では毎年2月11日に任意の記念日として「ルルドの聖母」をお祝いします。そして、この日は「世界病者の日」として世界中のカトリック教会で祈りが捧げられます。末吉町教会でも、毎年、2月11日近い主日に世界中の病者のために1月から教会全体で準備した霊的花束が奉納され、ミサの中で心を合わせて祈っています。今年は、2月11日が日曜日にあたるので、まさに「世界病者の日」に心を合わせて祈りをお捧げすることになっています。

この「世界病者の日」は、聖ヨハネ・パウロ2世教皇様によって1993年から始められました。そして、「病者がふさわしい援助を受けられるように、また苦しんでいる人が自らの苦しみの意味を受け止めていくための必要な援助を得られるように、カトリックの医療関係者だけでなく、広く社会一般に訴えていかなければなりません。」(カトリック中央協議会ホームページより)とされています。毎年、「世界病者の日」には、教皇様は病気で苦しむ方々を慰め、彼らが必要な支援を受けられるよう医療従事者を励まし、また、病気の人のために祈り、お見舞いに行く人々のことを応援してくださいます。

今年、第26回目を迎えた「世界病者の日」にあたってフランシスコ教皇様は、「教会の母―「『ごらんなさい。あなたの子です……見なさい。あなたの母です。』そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った」(ヨハネ19・26-27)」というテーマで教皇メッセージを発表しておられます。
フランシスコ教皇様は1項では、「このイエスのことばは、全人類の母となるというマリアの召命の原点です。マリアは御子の弟子たちの母となり、彼らとその旅路に心を配ります。」と述べ、「十字架による言語に絶するイエスの苦しみは、マリアの心を刺し貫きましたが(ルカ2・35参照)、マリアを行動不能にしたわけではありません。それどころか、マリアは主の母として、献身という新しい道を自ら歩き始めます。イエスは十字架上から教会と全人類のことを気遣い、マリアはその思いを共有するよう招かれます。」と指摘しておられます。
そして、2項では、「愛された弟子ヨハネは、救い主の民である教会を表します。ヨハネはマリアを自分自身の母と認めるよう求められます。その際、ヨハネはマリアを受け入れ、たとえ不安や企てが生じても、マリアの中に弟子の模範とイエスから託された母としての召命を見いだすよう招かれます。マリアは愛する母であり、イエスに命じられたように愛することができるよう子らを導く母です。」と述べ、教会は聖母マリアと共に、聖母マリアに導かれて人々を愛し抜く道を歩んでいくことを教えておられます。
4項では、2000年にわたる教会の歴史を振り返り、「困窮している人と病者に対する教会の母としての召命は、病者のために尽くす活動を重ねる中で実践されてきました。この献身の歴史を忘れてはなりません。この歴史は今日でも、全世界で続いています。公的医療制度が適切な形で機能している国では、修道会、教区、カトリック系の病院は充実した治療を施すよう努めるだけでなく、人間を中心とした治療を行い、いのちとキリスト教的倫理観を尊重した科学研究を行うよう努めています。医療制度が不十分であるか欠如している国では、教会は幼児死亡率を下げ、伝染病の拡大を阻止するために、人々に出来るだけ充実した治療を行うよう努めています。教会は、たとえ治療を行う立場にいなくても、あらゆる場所で人々のことを気遣っています。ひん死のけが人をすべて受け入れる『野戦病院』という教会のイメージは、実際に現実のものとなっています。宣教会や教区の病院だけが人々に必要な治療を施している地域が世界中にいくつもあるのです。」と指摘しておられます。

日本のカトリック教会は日本の社会の中では少数派ですから、「カトリック教会」としての働きに医療分野も含まれていることを意識する機会は少ないかもしれません。しかし、世界中を見渡すと、確かにカトリック教会の果たしている役割は大きいのです。ドイツに住んでいた時、フランクフルトの街にはカトリック教会の病院も沢山ありましたし、ドイツ国内でも地域によっては救急車の運営がマルタ騎士団やその他の修道会等を設立母体とするカトリック団体によって行われていました。また、日本では、諸事情で両親によって育てられることが出来ない新生児を匿名で受け入れ、特別養子縁組をしていく「赤ちゃんポスト」については、「こうのとりのゆりかご」という名称で熊本にあるカトリックの慈恵病院でのみ行われています。また、アフリカ大陸では、ヨーロッパ諸国の「カリタス」の援助によってセスナ機が運用されており、病院へのアクセスが困難な地域で、カトリックの医師や看護師が定期的に巡回し、予防接種を行ったり健康診断を行ったり、簡単な治療を施すことも広範囲で実施されています。「カリタスジャパン」もアジア諸国やアフリカ諸国等での衛生教育等にも協力をしています。

このような取り組みを今後も展開していく方向性として、フランシスコ教皇様は5項では、「長い歴史の中で病者のために奉仕してきたという記憶は、キリスト教共同体、とりわけそうした活動を実際に行ってきた人々に喜びをもたらします。しかし、自分自身をさらに豊かにするためには、とりわけ過去に目を向けなければなりません。病者に奉仕する多くの団体の創設者に見られるどんな犠牲もいとわない寛大さ、何世紀も続いてきた数々の取り組みがもつ愛に基づく創造性、信頼のおける革新的な治療を病者に施すために科学的研究を行う熱意といった、過去の事柄からわたしたちは学ばなければなりません。この過去の遺産は、未来をしっかりと設計するための助けとなります。それはたとえば、医療を営利目的の事業にし、貧しい人々を切り捨てようとする企業利益優先主義という世界的な脅威からカトリック系の病院を守るためにも役立ちます。病者の尊厳を尊重し、病者を中心とした治療をつねに行うことは、組織がより賢明になり、愛のわざが行なわれるために不可欠です。公的機関で働き、自らの行いを通して福音のよいあかし人となるよう招かれているキリスト者も、同じ方向をたどるべきです。」と指摘しておられます。
6項では、イエズス・キリストがご自分の癒す力を教会に与えて下さったことに言及して、「教会の使命は、イエスからのこの贈り物に応えることです。教会は、主のように優しく思いやりに満ちた視線を病者に向けなければならないことを自覚しています。医療にかかわる司牧活動は、小教区の共同体から最先端の医療機関に至るまで、皆が新たな熱意をもって携わるべき必要不可欠な使命でしたし、これからもそうあり続けるでしょう。慢性疾患や重度の障害を抱えた子どもや親、親戚を介護している多くの家族の優しさと忍耐強さを、わたしたちは忘れることはできません。家庭内で行われる介護は、人間に対する愛の卓越したあかしであり、正しい認識と適切な政策によって支えられなければなりません。したがって医者、看護師、司祭、修道者、ボランティアの人々、家族、そして病者をケアするすべての人がこの教会の使命に携わっています。それは、各自の日々の奉仕をさらに有意義なものにする共同責任です。」と述べ、教会の使命として小教区の司牧の現場でも共同体としてこの使命を果たすことを求めておられます。

1月30日の横浜教区月修で復活祭以後の人事異動が発表になりました。私については、末吉町教会で3年目の歩みを始められることを神様に心から感謝すると同時に、再び港南教会の主任司祭も兼務することになりました。また、日本カトリック神学院福岡キャンパスで月2回、「教会論(教義学)」の集中講義も始まります。4月からは、ますます多忙とはなりますが、病者への司牧訪問、病者の聖体拝領式、病者の塗油の秘跡は、カトリック教会がキリストの使命を果たす素晴らしい機会ですので、これまで以上に自分の時間を割いていこうと考えています。残念ながら、2016年4月に末吉町教会に赴任してきたときは、教会としては「病者訪問チーム」は解散してしまっていました。今年の目標は、「病者訪問チーム」を再建することです。皆様の中で、特にこの分野での教会の司牧に協力してくださる方が多く現れてくださることを心から願っています。

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