サンタクロースと聖ニコラウス司教

主任司祭 ヨゼフ 濱田 壮久神父

11月には12日に七五三の祝福式があり、神様の祝福に包まれてすくすく成長する子供たちの輝く笑顔で聖堂中が明るく照らされ、また、26日の王であるキリストの祭日には12名の子供たちの初聖体式を教会共同体全体で大きな喜びのうちにお祝いすることが出来ました。そして、いよいよ1年間の典礼の暦が終わって、新しい典礼暦年が始まります。
典礼暦年は11月末の待降節第1主日から始まりますが、待降節の典礼色は紫色です。この紫色が意味するのは、救い主の誕生を心待ちにして、神様に心を向けて穏やかな心で静かに幼子イエズス・キリストを待つことです。つまり、典礼暦年は、私たちの希望、救い主イエズス・キリストの誕生、私たちのもとへの到来をワクワクしながら待ち望む季節で始まります。
今年は、中国共同体の皆さんが聖堂の中にとても立派なプレセヴィオ(キリストの降誕の場面を模した馬小屋)を設置してくれました。また、待降節の主日の度に一本ずつ灯されていく3本の紫のろうそくと1本のバラ色のろうそくからなるアドヴェントクランツも祭壇前に置かれ、主の降誕に向けて私たちの信仰の歩みも希望と待望に満ちたものになることと思います。
さて、クリスマスにはサンタクロースが付き物で、幼稚園のクリスマス礼拝でも、礼拝が終わった後の「お楽しみ」の部分で毎年大きな袋を持ったサンタクロースが子どもたちにクリスマスプレゼントを届けに来てくれます。このサンタクロースは、ある実在の司教様がモデルになっていることはあまり知られていないかもしれません。サンタクロースは、英語では“Santa Claus“と書きますが、これは聖ニコラウスのラテン語のSanctus Nicolausが変化した書き方です。つまり、サンタクロースは、聖ニコラウス司教様がモデルになっているのです。聖ニコラウス司教様は、紀元270年頃に生まれ345年に帰天した司教で、今のトルコという国にあるミラという町の司教様でした。
さて、聖ニコラウス司教様の町に、仕事で失敗して、お金がなくて困っているお父さんと3人の娘さんたちがいました。そのころ、娘さんたちは結婚をしたいと思っていましたが、持参金といわれる、相手の家族に渡すお金がなくて、毎日泣き暮らしていました。
ある夜、家の中にお金が投げ入れられました。だれがくれたかは分かりませんでしたが、一番上の娘さんは、無事に結婚できました。
次に、二番目の娘さんも結婚することになりましたが、やはり、持参金がなくて困っていました。ある夜、家の中にお金が投げ入れられました。だれがくれたかは分かりませんでしたが、二番目の娘さんも無事に結婚できました。
三番目の娘さんも結婚することになりましたが、やはり困っていました。そんなとき、お父さんは、今度こそ、誰が自分の娘さんたちを助けてくれているのか知りたいと思って、夜も寝ないで見張っていました。
そのとき、ニコラウス司教様が、大きな袋を家に投げ入れたのを見つけました。お父さんは、本当に嬉しくなって、「ニコラウス司教様、本当にありがとうございます」と言って、感謝しました。
この、聖ニコラウス司教様の人目を忍んで困っている人を助ける姿は、後世に語り継がれていき、ドイツをはじめとするヨーロッパ諸国では12月6日の聖ニコラウス司教様の祝日の前後に、大きな「ザンクト・ニコラウス祭 ”Sankt Nikolaus Fest”」が祝われます。このとき、ザンクト・ニコラウスは、大きな帽子をかぶって杖をもって、マントを着てドイツ中の幼稚園や小学校、中高、大学や老人ホーム等にやってきます。そして、良い子、正しい大人には、ご褒美をくれますが、悪い子、悪い大人には、クランプスがお仕置きをします。クランプスとは化け物で、日本人にとっては「なまはげ」をイメージすると近い存在ということが言えます。
さて、ザンクト・ニコラウスの衣装で特徴的なのは、もじゃもじゃの白いひげと、赤いミトラ(司教冠)、赤いストラと赤いカッパ(ミサ以外の典礼の際に用いられるカトリックの祭服、マントのような形をしています)、そして、バクルス(司教の牧杖)です。つまり、本物のカトリック司教の祭服を模した衣装が用いられているのです。こうして、ザンクト・ニコラウスの訪れと信仰の旅路の歩みとの間には密接な結びつきがあることが今も色濃く映し出されています。

聖ニコラオ司教のミサ(12月6日)の聖書朗読個所から【ルカによる福音書10:1~9】

10・1 その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。10・2 そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。 10・3 行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。 10・4 財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。 10・5 どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。 10・6 平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。 10・7 その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。 10・8 どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、 10・9 その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。

聖ニコラウス司教様は、神の国の到来を告げ知らせる務めを果たすとき、特に困窮の中にある人々を支え、励まし助けていきました。このことを受けて、聖ニコラウス司教記念日のミサの聖書朗読個所には、ルカ福音書から上記の個所が選ばれています。つまり、聖ニコラウス司教様の訪れとは、「主の平和」をもたらす方を自分の家族の生活する家庭の場へと迎え入れることを意味しているのです。
今年も沢山の家庭に、特に、小さな子どもたちのいる家庭にサンタクロースが訪問することと思います。そのようなときにこそ、このサンタクロースが実はザンクト・ニコラウス、つまり、聖ニコラウス司教様なのであり、各家庭に「平和の君(王子)」としてお生まれになる主イエズス・キリストからの「主の平和」をもたらすことを改めて思い起こしましょう。そして、主の降誕の夜半(12月24日夜)や主の降誕の日中(12月25日朝)には、カトリック信者の「守るべき祝日」(主日、つまり日曜日と同様に、「教会の五つの掟」に従って必ずミサに与るべき典礼暦上の祝日。日本の教会では主の降誕と1月1日の神の母聖マリアが該当します。)として、心からの喜びと感謝のうちに、嬰児としてお生まれになった主イエズス・キリストをお迎えし、聖なるミサで祈りを捧げられると素晴らしいですね。

マザー・テレサのことばから
わたしはあのときのことを、絶対に忘れることはないでしょう。ある日、ロンドンの街を歩いていて、ひとりの男性がとても寂しそうに、ポツンと座っているのを見かけました。わたしは彼のところへ歩いていって、彼の手を取り握手しました。彼は大声でこう叫んだのです。「ああ、人間のあったかい手に触れるのは、何年ぶりなんだろう!」彼の顔は喜びで輝いていました。彼は、ついさっきとは、まったく違った存在になっていました。自分のことを大切に思い、共にいたいと思ってくれるだれかが、この世にはいるのだということを、感じてくれたのでしょう。わたしは、この経験をするまでは、このような小さな行為が、これほどまでに喜びをもたらしてくれるなんて、まったくわかっていなかったのです。
(マザー・テレサ日々のことば、2009年11月 女子パウロ会 「3月10日」)

そして、クリスマスが人と人との出会いの中で、イエズス・キリストのぬくもりを共に味わうことの出来る素晴らしいときとなりますように。

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