祈りに満ちた8月を終えて

主任司祭 ヨゼフ濱田壮久神父

暑い日が続いた8月も終わり、実りの秋を迎えました。この夏も末吉町教会では、神様の慈しみ深い導きによって沢山の青少年活動や、祈りの集いが開催されました。7月31日から8月3日にかけて静岡県裾野市にある不二聖心女子学院中学高等学校内の「聖心会山の家」で開催された「横浜教区召命錬成会」(担当司祭:濱田壮久師、牧山善彦師)には5名の小5から中3の男子参加者、1名の高校生サブリーダーが参加し、梅村司教様や横浜教区神学生達、そして、長野県、静岡県、山梨県、神奈川県から集った参加者と共に祈りに満ちた楽しい時間を過ごせました。また、今年からは、食当として末吉町教会の4名の信徒の方が40名を超える参加者のために祈りを込めて食事を作ってくださいました。本当にありがとうございました。
8月4日から5日にかけては、末吉町教会を会場として神奈川第3地区青少年デスク中高生リーダー会主催で毎年恒例の「中高生BBQ合宿」が行われ、7教会から30名を超える中高生、青年スタッフが集い、祈り、分かち合い、思いきり遊び、お腹いっぱいに食べて素敵な時間を過ごせました。
8月20日から22日にかけては、神奈川第3地区合同教会学校サマーキャンプが千葉県佐倉市の「草笛の丘」で開催され、7教会の小中高校生80名、青年スタッフ、ママスタッフ、司祭4名の計104名で「みぃつけた」というテーマで祈りに満ち、また、本当に「友達100人出来るかな?」という日本の小学生ならば誰もが一度は耳にしたことのあるテレビCMの言葉が実現する体験を皆で共有することが出来ました。なお、合宿の中では、全員で糸にビーズを通しながら、自作のロザリオブレスレットを作成し、ロザリオの祈りを捧げることが出来たことも本当に良い思い出です。
8月15日は「聖母被昇天」の祭日でしたが、200名近い参列者が共に集い、荘厳にロザリオと国際ミサで祈りに満ちた時を過ごすことが出来ました。そして、8月27日には、横浜教区教区長であられるラファエル梅村昌弘司教様をお迎えして、横浜教区における「ファティマの聖母のご出現100周年記念ミサ」を国際ミサで荘厳に祝うことが出来ました。5月13日の「ファティマの聖母」の記念日から、駐日教皇大使のチェノットゥ大司教様が日本の教会のために入手してくださったファティマの聖母の御像は日本全国の教区を行脚していますが、横浜教区では1872年に日本再宣教の歴史の中で邦人教会として最初に誕生した若葉町教会を起源とする、「聖母のけがれなきみ心」に捧げられた末吉町教会に安置され、8月31日まで祈りの集いが開かれました。
8月27日のミサについては、当初は400名くらいの参列者を見込んで準備をしていたのですが、当日は、700名近い参列者があり、11:00から幼稚園園庭での聖母行列、その後、聖堂での5か国語でのロザリオ、次いで梅村司教様主司式による荘厳な「ファティマの聖母」のミサが捧げられました。ミサ後は幼稚園園庭でのパーティーが開かれ、多くの方々が喜びに満ちた交わりのひとときを、梅村司教様を囲んで持つことが出来ました。ミサの準備、パーティーの準備にあたって下さった皆様、本当にありがとうございました。
8月28日からのファティマの聖母像を聖堂に安置しての祈りの集いでも沢山の方々が祈りに訪れて、聖母の願いにこたえてロザリオの祈りを捧げたり、また、聖母に取り次ぎを願って深い祈りを捧げてくださいました。まだ、原稿を書いている時点では御像の公開期間が終わっていないので、最終的な人数は確定していませんが、延べで300名を超える人数が平日にもかかわらず、既に祈りに訪れてくださいました。

8月の経験の中で、私たち、末吉町教会では使徒言行録のみ言葉が私たちの信仰共同体において本当に実現したのだと確信をもっていうことが出来ると思います。

【使徒言行録2章1節~11節】
2・01 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 02・02 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 02・03 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 02・04 すると、一同は聖霊に満たされ、”霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。 02・05 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、 02・06 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉で使徒たちが話をしているのを聞いて、あっけにとられてしまった。 02・07 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。 02・08 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。 02・09 わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、 02・10 フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、 02・11 ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

聖霊降臨の出来事は、使徒聖パウロがエフェソの教会に宛てた手紙の中で指摘した次の出来事を実現させる天からの恵みだといえるでしょう。

【エフェソの教会への手紙2章13節~22節】
02・13 あなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。 02・14 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、 02・15 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、 02・16 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。 02・17 キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。 02・18 それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。 02・19 従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、 02・20 使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、 02・21 キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。 02・22 キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。

パウロが指摘する「キリストの血によって近い者となった」という表現は、同じ祭壇でキリストに結ばれ、主の御血と御体とによって「敵意という隔ての壁を取り壊し、(略)双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し」て下さることを表しています。この点を深く考えるとき、同じ一つのミサに多国籍の信者が共に与り、「両方の者が一つの霊に結ばれて御父に近づく」ことができた8月の末吉町教会の信仰共同体の歩みは、まさにパウロが指摘するように「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられて」「霊の働きによって神の住まいとな」った「主における聖なる神殿」なのだということを深く実感することが出来た歩みだということが出来るでしょう。

カトリック教会のカテキズム688項では神の霊である聖霊について以下の指摘がなされています。
688 伝えられた使徒たちの信仰の交わりを生きる教会を通して、わたしたちは聖霊を知ることができます。すなわち、
―聖霊の霊感によって書かれた聖書、
―教会の教父たちがつねにあかししている聖伝、
―聖霊に支えられている教会の教導権、
―聖霊がことばとしるしによってわたしたちをキリストに交わらせる、秘跡の典礼、
―聖霊がわたしたちのために執り成してくださる祈り、
―教会を築くカリスマと種々の奉仕、
―使徒的、宣教的生活のさまざまなしるし、
―聖霊がご自分の聖性を現し、救いのわざを続けられる聖人たちのあかし、を通して。

私たち末吉町教会の信仰の歩みにおいても、カテキズムが指摘する「信仰の源泉」を大切にしながら、一人一人の信仰生活の中で聖霊の働きを豊かに受けることが出来るように歩むことが出来れば本当に素晴らしいと思います。

カトリック教会のカテキズム736項では聖霊の結ぶ実を取り上げながら、以下の指摘がなされています。
736この聖霊の力によってこそ、神の子らは実を結ぶことができます。わたしたちを真のぶどうの木に接いでくださった霊は、わたしたちに「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」の実を結びます(ガラテヤ05・22-23)の実を結ばせてくださいます。霊はわたしたちのいのちです。わたしたちが自分を捨てる度合いに応じて、霊の導きに従って生きることになるのです(ガラテヤ05・25)。

私たちの生活の中で、聖母の取り次ぎのうちに「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」(ガラテヤ05・22-23)の実りが豊かに結ばれる9月となりますように。

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